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2025.09.20

作家・元外交官 佐藤優が語る死生観【あしたのジョーは死んだのか?】

 どんなに健康な生活をおくっていても、誰にでも死は訪れます。人類は哲学、宗教、科学、歴史、美術など様々な面から死について考え続けているといっても過言ではありません。

 

 一体、『死』とは何かーー。
 

 作家・元外交官の佐藤優氏は、著書『死の言葉』で偉人たちの言葉をピックアップし、全人類に共通する「死」について、そして死生観について語っています。

 今回は、ファンの心をとらえて離さない漫画『あしたのジョー』にその言葉をもとにした佐藤氏の死生観を、自身の著書『死の言葉』より紹介します。あなたは偉人の遺した言葉から、どんなことを考えますか?

ジョーの言葉

燃えたよ……

真っ白に……

燃え尽きた。

『あしたのジョー』より

【梶原一騎】

1936-1987年(没年50歳)

漫画原作者。『あしたのジョー』では高森朝雄の名前で連載をした。格闘技やスポーツ漫画を中心に数々の原作を発表、ヒット作を連発する。本作以外の代表作に『巨人の星』や『タイガーマスク」、「愛と誠」などがある。

 

【ちばてつや】

1939年‐

漫画家。数多くヒット作があるが作画を手がけた『あしたのジョー』も代表作の一つ。

あしたのジョーは死んだのか?

 原作・梶原一騎(高森朝雄)、作画・ちばてつやの漫画『あしたのジョー』の最終話で、矢吹丈(ジョー)は世界チャンピオンのホセ・メンドーサと最終ラウンドまで壮絶な打ち合いを行った末、惜しくも判定負けを喫します。ジョーはコーナーで独り言のように冒頭の台詞を語ります。それまでマットで対戦相手を死に追いやったり、廃人にしたりした絶対王者ホセから雨あられのパンチを浴びたジョーは、ふつうなら死んでもおかしくない状況でした。そもそも彼は試合前からパンチドランカーだったのです。

 

 全てが終わり、発せられたこの言葉は、ジョーの最後の言葉だったのでしょうか。ファンの間でも彼が死んだのかどうか意見が分かれています。著者もその真相は明らかにせず、読者の解釈に委ねています。この作品は、椅子に腰掛け、微笑みを浮かべ目をつぶっているジョーの姿と共に終わりを告げます。

生死を超えたジョーの虚無主義

 このラストを見ると、主人公の虚無主義が見えてきます。ここにある虚無主義は、生死を超越した人間存在における「空の思想」と言ってよいでしょう。人生の目標や意味を見つけても最終的に死が待っているから、それを追い求めても無意味である。しかし、だからこそ死を覚悟して、自分が燃え尽きるまで突き進む。世界チャンピオンや試合の勝利といった一般的価値を否定し、ただ自分の信じた方向だけを向いて生きる。著者がジョーに投影したのはそういった人間の姿でした。ここに原作者である梶原の人生観が垣間見られます。

 

 虚無主義について論じた哲学者としてニーチェが挙げられます。ソクラテスは「書く生きること」を生の目的とし、キリスト教は神の前での自らの原罪を認め、救いを得ようとすることを生の目的としました。しかし、ニーチェはこうした姿勢を否定し、私たちが生きる現実世界には何ら価値も意味もないことを強調しました。これがニーチェ流の虚無主義リニヒリズムです。ニーチェはさらにこれを受動的ニヒリズムと能動的ニヒリズムに分けました。前者は世の中が無価値であることを嘆いている状態であり、それを否定する一方、無価値であることをあえて肯定的にとらえ生きていこうとする後者を高く評価しました。「真っ白な灰のように燃え尽きる」ことだけを目指し、生にも勝利にもこだわらなかったジョーの生き様は、ニーチェの言う能動的ニヒリズムと言えるでしょう。

体制に反逆するジョーに感化された時代

 『あしたのジョー』は、1968年から1973年まで『週刊少年マガジン』で連載されました。70年安保闘争を中心とする学生運動の華やかな時代、当時の若者の多くは『あしたのジョー』を愛読し、権威的なものに反逆し死を覚悟して生きる主人公・矢吹丈の生き様に熱狂したのです。そして、その象微的な出来事として、1970年3月に起きた共産主義者同盟赤軍派(以後、赤軍と記す)による「よど号ハイジャック事件」が挙げられます。羽田発福岡行きの飛行機をハイジャックした赤軍グループは、北朝鮮へ飛ぶように指示、亡命に成功しました。そのとき赤軍のメンバーであった田宮高麿は「われわれは明日のジョーになる」という言葉を残しました。革命に燃えた赤軍のメンバーは北朝鮮から世界革命を起こしていこうという情熱に燃えていました。しかし、独裁政権化した金日成の社会主義政権のもとで、日本の青年たちは何もできず革命の夢は破れ去りました。赤軍メンバーは結局、「あしたのジョー」になれなかったのです。

 

 赤軍の革命思想とこの作品に見られるニヒリズムは、直接関係はありません。世界革命の思想には、資本主義体制を壊し、プロレタリアート国家の構築が目的にありました。そこにニヒリズム思想や、この世界に絶対的な価値や意味がないという考え方は基本的にありません。しかし、60年安保を経て70年安保を迎えた時代の流れの中、学生たちにニヒリズムの空気が蔓延していったのも確かでした。人間の生きる意味に疑問を抱いても、なお自らの存在を引き受け進もうとするジョーの生き様と同じものが、時代精神にあ
ったと言えるのではないでしょうか。

まとめ

🔹ジョーは燃え尽きて無になることに向かって突き進んで行った。そこには肯定的なニヒリズムを生きる一人の若者の姿があり、同時代の若者はジョーの生き方に共感した。

🔹革命思想はニヒリズムとは無関係だが、ジョーの生き方である大きな力への反抗精神という点では重なり合う部分がある。

死の言葉
佐藤優 著(プロフィールは下記参照)
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本書では全人類に共通する「死」について、「知の巨人」佐藤優が歴史に残っている偉人たちの言葉をピックアップし、死生観について語ります。
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佐藤優(サトウマサル)
1960年、東京都生まれ。作家、元外務省主任分析官。
1985年に同志社大学大学院神学研究科修了後、外務省に入省。在英国日本国大使館、在ロシア連邦日本国大使館に勤務。その後、本省国際情報局分析第一課で、主任分析官として対ロシア外交の最前線で活躍。2002年、背任と偽計業務妨害容疑で逮捕、起訴され、2009年6月に執行猶予付き有罪確定。2013年6月、執行猶予期間を満了し、刑の言い渡しが効力を失った。『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』(新潮社)で第59回毎日出版文化賞特別賞受賞。『自壊する帝国』(新潮社)で新潮ドキュメント賞、大宅壮一ノンフィクション賞受賞。
『読書の技法』(東洋経済新報社 )、『勉強法 教養講座「情報分析とは何か」』(KADOKAWA)、『危機の正体 コロナ時代を生き抜く技法 』(朝日新聞出版)など、多数の著書がある。

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