File No.14
【東洋医学のスペシャリスト 石原新菜先生】
「医食同源 — “身体の声を聴くことの大切さ” をもっと広めていきたい」
内科医。イシハラクリニック副院長
長崎市生まれ。医学生の頃から、父の石原結實とともにメキシコのゲルソン病院、ミュンヘン市民病院の自然療法科、イギリスのブリストル・キャンサー・ヘルプセンターなどを視察し、自然医学の基礎を養う。2006年に帝京大学医学部を卒業後、大学病院での研修医を経て、イシハラクリニックにて漢方薬処方を中心とする診療を行う。
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『「空腹の時間」が健康を決める』『オトナ女子のカラダとココロセルフケア』『おいしい!かんたん!オートミールでキレイやせレシピ』など、さまざまな健康書を手掛け、身体の中から改善することの大切さを唱える石原新菜先生。今回、石原先生が辿ってきたこれまでの道のりについてお話いただきました。
――現在、クリニックでの診察をはじめ、テレビ、雑誌などで活躍中の石原先生ですが、いつごろから医学の道を進もうと思われたのですか?
私の父が医師なので、親戚や周囲からは当然のように「お医者さんになるのよね!」と子どものころからずっと言われてきました。父に対しては、私が熱を出したりしたときに早く帰ってきてくれてあれこれと診てくれたり、とても頼りになる存在ではありましたが、周囲から言われるたびに、心のなかでは「ああ、また言われた。いやだなあ……」という気持ちが強かったですね(苦笑)。
子どものころは、とにかく動物が大好きでした。父の開いていた断食道場の敷地が広かったので、そこで犬、リス、キジ、インコ、亀、魚……、いろいろな生き物を飼って一人で世話していました。ある日、父に「獣医になりたい」と話したことさえあったほど。父は自分と同じように医師になってほしかったみたいでがっかりされましたけどね。
医師を目指すきっかけとなったのは、もちろん父の影響が大きいですが、もう一つには、母親の存在があります。私には母親が二人います。生みの親はスイス人で、私自身、小学校低学年までスイスで過ごしました。母は精神的な病を抱え、日常生活を平穏に過ごすことが難しかったため、私は母を助けなきゃという思いで母の代わりに妹2人の面倒を見ていました。
また、14歳のころに読んだ本、『マザーテレサ』に感銘を受けました。これほどまでに見返りを求めずに心から人を助けられるマザーテレサに対し、なんて素晴らしいのだろうと。このような出来事をきっかけに、少しずつ医師への気持ちが芽生えていきましたが、そのころは勉強よりも部活動に積極的に取り組んでいました。
――部活動ではどんなことをしていたのですか? また、本格的に医学部受験を意識し始めたのはいつごろからでしたか?
中学生のころはソフトボール部に所属して、4番ショート、キャプテンを務めていました。ソフトボール部に入ろうと思ったきっかけは、そのころ流行っていたマドンナが出演した映画、プリティーリーグという映画を観たことでしたが、実際は映画のようなドラマチックな展開はなく、ひたすらノックのボールを追いかける日々でしたけどね(笑)。
本格的に医師を目指そうと勉強を始めたのは、大学受験のころでした。高校3年生になってからでしたから、間に合うはずもありませんよね(苦笑)。浪人して予備校に通い、寝る間を惜しんで勉強しました。もう、なりふり構わずといった感じで、10キロ以上も体重が減ってげっそりするほどでしたが、11月に最初に受験した帝京大学医学部に合格することができました。合格発表を電話で聞けるシステムだったのですが、震える手で電話をかけた日のことを今も鮮明に覚えています。
――そこから石原先生の医師への道が始まったのですね。
そうですね。大学時代は楽しかったですが、卒業試験をクリアするためには、それまでに行われる4回の試験すべてをパスしなければならず、そこを通過してようやく医師国家試験を受けることができるとあって、厳しかったです。とにかく必死に勉強し、大学卒業後、医師免許を取得しました。また、プライベートなことですが、その年(2006年)に結婚しました。
研修医になってからは、希望していた大学病院に勤務しました。このころの研修医は、スーパーローテートという制度のもとで、2年間の間に専門とする科はもちろん、それ以外も全科回らなければならなかったので、過酷でした。36時間勤務をなんと週に3回しなければならず、当直つづきで1カ月に1度、休めるかどうか、という生活を送っていました。ですが、そのおかげでいろいろな面から医療の現場を見ることができ、今の道を選ぶことができました。
――今の道を選んだきっかけはどのような面からだったのですか?
たとえば、患者さんが喘息であればステロイド剤を処方し、血糖値が高ければ下げる薬を出し、どこかが痛いと言われれば痛み止めを処方する。確かに薬を出せば症状は収まりますが、対症療法だけでいいのか? という疑問がふつふつと湧いてきたのです。病気を治すことは患者さんにとって最も重要なことですが、予防もしていかなければやがてまた同じことを繰り返してしまう……。
そのようなことを考えていたタイミングで、身をもって体験した大きな出来事がありました。
ここで父の話になりますが、父は西洋医学では解決しきれない体の不調を、東洋医学を用いて根本的な部分から整えていくという方法で、実に多くの患者さんと向き合ってきました。
「とにかく体を冷やすな」「体を温めろ」父からいつも言われていた言葉ですが、研修医生活の多忙さに日々の体のメンテナンスをおろそかにしていた私は、肌はボロボロ、体温も1℃下がって体重も増え、あらゆる不調が出てきてしまったのです。そこで父に相談し父のアドバイス通りに腹巻をして漢方薬を飲み、玄米おにぎりを食べ、生姜紅茶を飲んで……。半年くらいすると体重は10キロ減り、体温も1℃上がって長年悩まされていた不調がすべてよくなりました。そのようなことがあり、父と同じ東洋医学の道を進むことを決意しました。
――実体験から東洋医学への道を選ばれたのですね。
そうですね。そこから、父を師として5年間、徹底的に学ばせてもらいました。その間、私は患者さんを診察することなく、ひたすら父の診察する様子を傍で見ながら、患者さんに話した内容をすべて書き留めていきました。それまで私は西洋医学しか学んできませんでしたから、漢方の考え方や漢方薬の名前を聞いてもわからないことばかり。父のあとについて、ひたすら知識を身につけていきました。
――お父様は、新菜先生の医師としての人生においても重要な存在となったのですね。
そうですね。父は子どものころからとても優しくて面白くて冗談を言って笑わせてくれるお父さんでしたが、厳しくしないといけないところはとても厳しかったです。真面目でせっかちで、中途半端なことを許さないところがありました。礼儀に関しては特に厳しくて、「手紙や贈り物をいただいたときはもちろん、どんな連絡をもらっても相手に対するレスポンスはすぐにしなさい」ということも叩き込まれましたね。「Response(答える)はResponsibility(責任)だ!」とよく言っていました。父のもとでの5年間の研修ののち、ようやく患者さんを診ていいと言われ、患者さんを受け持つことになりました。
――現在は、クリニックの副医院長である石原先生ですが、これまでに多くの方を診てきて、どのようなことを感じていらっしゃいますか。
クリニックではじっくり患者さんと話し、その方の身体バランスのどこが崩れているのかをさぐってから対処法を考え、漢方薬を処方したり生活の指針を話すようにしています。一人当たりの診察時間は30分から1時間程度かけていますので、自由診療の形態をとっています。再び来院する患者さんに笑顔が戻り、「楽になった!」と言ってくれる様子を見るのが一番嬉しいです。
医師となり15年が経ちますが、いま最も感じていることは生活習慣病の増加についてです。先進国はどこでもそうですが、日本でも食事の内容が昔と大きく変わり、肉を多く食べるようになったことに加え、食べ過ぎや運動不足などから、若くして病気になる人がとても増えていると思います。
これまで長寿の方がとても多いと言われてきた沖縄県では、たしかにおじいさんやおばあさんの世代では平均寿命は長いですが、その一方で若い世代の肥満や糖尿病、がん、心筋梗塞が増えています。この傾向はいずれ全国的なものになってしまうのでは、と思います。
それから、誤った知識がもとで体調不良をきたす方も多いのではと感じています。さまざまな補助食品が売られ、たんぱく質を摂るのに飲むプロテインばかり摂取する方がいますが、元来たんぱく質は食べ物から摂るもの。また、デトックスという言葉が流行り、何リットルも水を飲む方がいらっしゃいますが、摂りすぎが原因で、かえって不調をきたしてしまうという例も多く見られます。飲むばかりでなく汗をちゃんとかかないといけません。代謝が悪いと飲んだ分が全部体外に排出されるとは限らず、頭痛やめまいなどの原因となってしまいます。不調があって病院で検査をしても異常なしと診断される方の多くは、生活習慣を見直す必要があります。
また、そのような不調にアプローチできるのが漢方です。あまりなじみのない方からは、エビデンスがないのでは? と言われることもありますが、漢方はこれまでの長い歳月を経て薬として確立したものです。たとえば葛根湯でいうと、7種類の生薬から作られていますが、そのなかの1つでも欠けていたり、分量が違ったら成り立ちません。漢方の大元となる考え方を知ったうえで服用し、生活習慣を変えていけば、体質も大きく変わっていきます。
人間の体には、自然治癒力があります。体に毒となるものが入ったときは、吐いたり下痢をしたり、発疹という形で体の外に出したりすることで、自分の体を守ろうとしています。その力を引き出すことは、難しくとらえられがちですが、意外と単純なことだと思うのです。また、食べたくないと感じるときは無理に食べなくてもいい。体の声を聴くことはとても大事なので、このことをみなさんにも気づいていただきたいです。
――石原先生ご自身が、日常生活で気を付けている点はありますか?
基本的なことですが、食べ過ぎないことと、栄養素をしっかり摂ること、そして運動ですね。朝は毎日ニンジン2本とりんご1個を使ったフレッシュジュースをジューサーで作って飲みます。昼食はたくさん食べると眠くなってしまうので、黒砂糖かおせんべいくらいで済ませます。仕事が終わってから5キロ走り、帰宅してから夕食を作るのですが、我が家では和食だけ。洋食は外食したときだけにしています。スーパーフードである味噌汁に生姜をたっぷりいれたものを、毎日欠かさず飲んでいますよ。あ、お酒は飲みますけどね。ちなみに仕事を終えてビールの後に飲む芋焼酎のロックが一番好きです(笑)。
――お仕事を終えてから毎日5キロ走っていらっしゃるなんて、素晴らしいです。芋焼酎のロックがお好きとは、通好みですね(笑)。最後に、石原先生の今後の目標などがあれば教えてください。
静岡県伊豆市に断食道場(ヒポクラティック・サナトリウム)があります。父が37年前に開いたときは、世間からは「一体何だろう?」という目で見られることもありましたが、「ファスティング」や「ジュースクレンジング」という言葉の広まりとともに、やっと今、時代が追い付いてきたなと。そして、これからもっと必要になってくると思うので、これからは、父が作ってくれたものを受け継いでいきながら、世界にも広げていければと考えています。
それから、私のすぐ下の妹はヨガインストラクター、その下の妹は大学院で心理学を学び、太極拳や合気道をやっています。私と父の関心は体のことばかりでしたが、妹たちの力も借りて、メンタルの面もサポートしていけるような体制を作ることができたらいいなと思います。
◆「医師となり15年が経つが、いま最も感じていることは生活習慣病の増加についてである。日本でも食事の内容が昔と大きく変わり、肉を多く食べるようになったことに加え、食べ過ぎや運動不足などから、若くして病気になる人がとても増えていると思う」
◆「漢方はこれまでの長い歳月を経て薬として確立したもの。たとえば葛根湯でいうと、7種類の生薬から作られているが、そのなかの1つでも欠けていたり、分量が少しでも違ったら成り立たない。漢方の大元となる考え方を知ったうえで服用し、生活習慣を変えていけば、体質も大きく変わっていく」
◆「人間の体には、自然治癒力がある。体に毒となるものが入ったときは、吐いたり下痢をしたり、発疹という形で体の外に出したりすることで、常に自分の体を守ろうとしている。その力を引き出すことは、難しくとらえられがちだが、意外と単純なことだと思う。また、食べたくないと感じるときは無理に食べなくてもいい。体の声を聴くことはとても大事なこと。このことをみなさんにも気づいていただきたい」
◆「『ファスティング』や『ジュースクレンジング』という言葉の広まりとともに、父が30年以上前からやっていることにやっと時代が追い付いてきた。そして、これからもっと必要になってくると思う。これからは、父が作ってくれたものを受け継いでいきながら、世界にも広げていきたい」
取材・文 向山邦余
取材時写真撮影 大森聖也