File No.1
【料理研究家 阪下千恵先生】
娘の食物アレルギーが料理研究家へのきっかけに。人生、何が起きるかわからない
料理研究家・栄養士として、レシピの開発に勤しみ、数多くのレシピ本を出版。NHK「あさイチ」、日本テレビ「ZIP!」 「ヒルナンデス!」、TBSラジオ「伊集院光とらじおと」など、数々のメディアにも出演し大活躍中の阪下千恵先生。
今回、料理研究家としての道を進むようになったきっかけなどを赤裸々に語って頂きました。
――数々のメディアに出演され、ご活躍中の阪下先生ですが、まずは「お料理が好きになったきっかけ」について教えていただけますか?
子どものころから、料理やお菓子作りは楽しくて、好きでした。母がうま~く褒めて、やる気を持たせてくれていたのかもしれませんが(笑)。そんななか、あるひとつの出来事が大きなきっかけになり、お菓子作りがさらに好きになったのを、今もはっきりと覚えています。
それは小学生のころ、熱を出して寝ていたときのこと。母が本を買ってきてくれたのですが、それは、今田美奈子先生の『すてきなおかし作り』と『世界のおかし作り』(小学館ミニレディー百科シリーズ)の2冊でした。今でも大切に保管しています。ページをめくるたびに出てくる、おいしそうなお菓子。中にはレシピだけではなく、各国の伝統菓子や、その背景なんかも書かれていて、夢中になって読みました。
それからというもの、その本を見ながらシュークリーム、クレープ、クッキーにタルト…。難易度の高いお菓子も載っていましたが、失敗しながら何度もチャレンジしました。そして、ドキドキしながらできあがったお菓子を家族に配り、試食会をしたのですが、母だけでなく、父や姉からも「すごい! よくできたね。とってもおいしい!!」と言ってもらえたんです。本当に嬉しかったのを今でも鮮明に覚えています。
――家族のみなさんに喜んでもらえたのは、大きな自信になりましたね! 阪下先生は、大学ではフランス語を専攻されていたとのことですが、いつごろから本格的に料理の道を選ぼうと思ったのですか?
大学時代はフランス語を専攻しましたが、いよいよ就職活動を始めるにあたり、あらためて自分を見つめなおしてみたんです。
「海外への興味もあるけれど、この4年間でフランス語を思うように話せるようになったわけでもないし…。どんな道に進んだらいいのだろう……」「これから先、自分が積極的にかかわっていける仕事ってなんだろう……?」あれこれ悩みました。
そして最終的に出した答えは、「食」に関する仕事へ進むこと。そして卒業後、外食産業大手企業に就職しました。この時はまだ料理研究家をめざそう、という気持ちはありませんでした。
――就職してからはどのようなお仕事をされたのですか?
1社目の外食産業、2社目の自然食品を取り扱う企業を経て、商品企画開発やマーケティングの仕事を担当しました。そのうち、売り出したい商品を使ったレシピの開発や、年間の販促計画なども担当するようになりました。自分の作ったレシピが世に出るようになるのは嬉しくて、どんどんやりがいを感じ始めていました。
その後、20代半ばで結婚、出産を経験し、1年間の育児休暇の後、職場復帰も果たしました。「さあ、これから育児も仕事も頑張るぞ!」と意気込んで復帰したものの、現実はそう甘くはありませんでした。
――甘くない現実とは、どんな出来事があったのですか?
職場復帰後、1年間働いたあたりに、娘が何かと病気がちなうえに、アトピーと重度の食物アレルギーを発症してしまったんです。しだいに職場を休みがちになってしまい、やむなく退職しました。
――そうでしたか…。育児と仕事の両立問題…、働く女性にとって最大の課題ですね。
そうですね。当時は女性が働き続けるための環境が今ほど整っていませんでしたし、両立するのはとても難しかったので…。
正直なところ、退職という選択に対し悔しい気持ちを捨て切れませんでしたが、運よく退職後も上司からフリーランスとしてレシピ開発のお仕事をいただくことができたので、そこに社会との接点を持ちながら頑張ろう、と気持ちを切り替えました。
そのころ、娘の食物アレルギーはかなり重く、小麦粉・卵・牛乳はもちろんダメ。そこに加えてお米もダメ。安心して食べられるのは、煮た野菜とイモ類くらい、という状況でした。なので、医師と相談しながら、適切な食材を選び、娘が食べても大丈夫、さらに家族が食べても美味しい料理づくりに奮闘しました。いやがおうにも、「食」と向き合わなければならない日々。試行錯誤しながら生み出したレシピはいつでも使えるように記録し、保管していきました。
やがて月日が経過し娘の食べられるものが徐々に増えていき、気持ちに少し余裕がでてきたころ、「自分と同じように食物アレルギー対応食づくりに苦しんでいる方々に向けて、何かできることはないだろうか?」と考え、今まで作ったレシピをブログに載せて発信していくことにしたんです。今振り返ると、それが料理研究家としての第一歩だったと思います。(アレルギー対応食については現在👉こちらで公開中)
のちに、このブログがある出版社の育児雑誌編集者の目に留まり、雑誌の記事として掲載されました。
このことをきっかけに、いずれはまた仕事をしたい! という気持ちが高まり、娘への心配が薄れてきた時期に、もう一度やってみよう、と再就職活動を始めました。
―― 再就職活動はいかがでしたか?
再就職活動では、いくつかの企業の試験を受けましたが、そこで人生を左右する大きな決心をすることになりました。
幼い子どもがいて、一度退職してしまっている身。何社かに応募し、そのなかのある大手食品会社で最終面接まで進んだのですが、面接官に「阪下さんに栄養士の資格があったら良かったんだけど…」と言われ、不採用に終わりました。
このとき、「社会から信頼されるための資格も身につけなければ」と思ったんです。そして、夫に相談してみると、「本当にやりたいことなら頑張ってみたら?」と後押ししてくれたので、短大に通って資格を取ることを決意しました。
―― それは一大決心ですね。育児もあり、家事もあり、そしてお仕事も。
そうですね。けれど自分の年齢や、その先のことを考えるとそんなに悠長なことは言っていられなかったので、今しかない! と、自宅から通える短大へ入学し、娘を保育園へ預けながら2年間みっちり勉強しました。レシピ作成の仕事は継続して行っていましたので、授業の合間や夜に仕事をこなし、家事・育児もこなす毎日に。本当にめまぐるしかったです。
けれども、家族の協力を得てまで「栄養士の資格を取るんだ」というひとつの目標に向かって勉強をしていたので、それはもう必死でした。人生のなかで最も勉強した期間といえるくらい、がむしゃらに取り組みました。
その結果、栄養士の資格を取得するだけでなく、短大を主席で卒業し、卒業式では総代として答辞を読ませていただきました。
――おめでとうございます! 家事・育児に仕事もこなしながら学業も両立させるなんて、なかなかできることではありませんね。
ありがとうございます。はっきりとした目標があったから、頑張ることができました。
その後、細々と仕事を続けつつ、ブログも続けていたところ、あるときNHKの番組出演の話が舞い込んできたんです。これには驚きました。たまたまディレクターの方が、私が栄養士の資格を取得した短大出身だったらしく、親近感を感じてくれたからなのかもしれません。人って、どこでつながるか、わからないものですね。そしてNHKの密着取材を受け、Eテレ番組 「グラン・ジュテ~私が跳んだ日」という番組※で、「いまを頑張る料理研究家」として紹介されました。
(※NHK Eテレで2009年~2013年に放送された番組。「グラン・ジュテ」とは、バレエ用語で跳躍(ちょうやく)のこと。今、輝いている女性の「グラン・ジュテ」を紹介)
――テレビに出演されて、なにか変化はありましたか?
番組放映後、いちばん反響が大きかったのは、アレルギー対応レシピに対してでした。同じ悩みに立たされている多くのママが「ブログを見ました。参考になります」とメッセージを送ってくださいました。すこしでも人の役に立てたことが、心から嬉しかったです。そして「人生、何が起こるかわからない」ということを、身をもって体験しました。
――本当に人生、どんな展開が待っているのかわからないものですね。
そうですね! そして何よりも、テレビで「料理研究家」として紹介されてしまった以上、もう後には引けません(笑)。
そのころ次女の出産もあったので、最終的には企業への再就職はせず、フリーランスの料理研究家として進んでいくことを決意しました。
――料理研究家になってから感じる「やりがい」はどのようなところにありますか?
私は、「料理研究家」とは、みんなの代表として、あらゆる料理を作り、数多くの失敗を重ねたうえで、「こうするとうまくいったよ!」と伝えていく役割を担う仕事だと思っています。なので、「料理」を通じて、誰かの生活の何らかの力になれた、そう感じた瞬間がいちばん嬉しいですし、やりがいも感じます。これからも「料理」という媒体で、少しでも自分の体験がヒントになり、みなさんのお役に立つことができたら何よりです。
また、かつて短大時代に一緒に勉強したお友達に会ったとき、「あのころ一緒に短大に通っていた自分よりずっと年上の阪下さんが、いまこうして活躍している姿を見ていると、私も頑張っていれば阪下さんのようにいつか報われるときがくるかもしれない、と思えるの」と言われたことがありました。今でも短大時代のお友達は大切な存在。これからも励まし合って頑張っていきたいと思っています。
――これからやってみたいこと、目指していることはありますか?
じつは、いまさらですが、大学時代に学んだフランス語をムダにすることのないよう、こっそり学びなおしをしているんです(笑)。いずれは日本の食卓を海外に向けて発信したり、日本のよさが再認識できる場を設けることもできたらいいな、と考えています。
――世界に発信する料理研究家への道、これからのますますのご活躍をお祈りしています! 最後に、この記事を読んでくださっている方に向けて一言お願いします。
思うようにいかないことがあっても、それがのちにどのような展開に結びつくのかは、わからないものだなと思います。なので、いま辛い状況にいらっしゃる方も、それがきっかけとなり、新たな道ができるかもしれないので、将来への可能性は捨てないでほしいなと思います。
また、育児をされているママにひとつお伝えしたいことがあります。
私の場合、子どものころに料理やお菓子作りをすると、母がいつも褒めてくれたことが小さな自信につながりました。
子育てに必要なことのひとつは、子どもが頑張ったときは、それを認めて大袈裟なくらいに(笑)ほめることかな、と思います。子どものころの気持ちって、大人になっても忘れないものですね。お子様の成長を見守りつつ、たくさんほめて、サポートしていただきたいと思います。
――いろいろなお話をお聞かせくださり、本日は有難うございました。
こちらこそ、どうも有難うございました!
◆「人生、何がきっかけとなるかわからない。いいことも悪いことも」
◆「積んだ経験は決してむだにならない。そしてその経験が、いつかタイミングを引き寄せる」
(取材・文 向山邦余)
阪下千恵(サカシタチエ)
料理研究家・栄養士。大手外食企業、食品宅配会社を経て独立。子育ての経験を活かした、作りやすくて栄養バランスのよい料理が好評を博し、現在、NHK「あさイチ」などのメディア出演をはじめ、書籍、雑誌、企業販促用のレシピ開発、食育講演会講師など多岐にわたり活躍中。
著書に『決定版 朝つめるだけ!作りおきのやせる!お弁当389』『おいしすぎてほめられる!料理のきほんLesson』『はじめてママもこれならできる!園児のかわいいおべんとう』『とっておきのお持ちよりレシピ』(いずれも新星出版社)、『ひとりで作って、みんなで食べよ! はじめてのごはん』(日東書院本社)、『友チョコもあこがれスイーツも! はじめてのお菓子レッスンBOOK』(朝日新聞出版)、『キッチンがたった1日で劇的に片づく本』(主婦と生活社)など多数。夫、2004年、2009年生まれの2人の女の子との4人家族。