「行動経済学」と聞くと、どのようなイメージを持つでしょうか? 「経済学」ということで、私たちの生活からは遠い話のように思えるかもしれませんが、行動経済学はちょっと違います。
行動経済学はいわゆる伝統的な経済学とは異なり、実際の消費者の行動から理論を形作ります。 人間の持つ「非合理的」な部分にフォーカスするのが、この学問の特徴です。
さて、「非合理的」な部分といっても、イメージが湧きづらいのではないでしょうか。 まずは、行動経済学を活用した実際の事例を見て、私たちの「非合理的」な行動にはどのようなものがあるのかを確認してみましょう。
水を加えて混ぜるだけのホットケーキミックス。 材料いらずで手間もかからず、簡単・便利。 味も上々です。さぞ爆発的ヒットになる……と思いきや、あまり売れません。
ところが、卵と牛乳を加える通常のパンケーキミックスに戻したら、よく売れるようになりました。
いったい、なぜ? これには次の2つの要因が関わっていました。
IKEAの家具やディアゴスティーニなどのパートワークがなぜ人気なのか。 その理由の1つに「自分で組み立てる」ことが挙げられます。 人間は、自分が苦労して手を加えたものに対しては価格以上の価値と愛着を感じるからです。
このような心理的現象を「イケア効果」と呼びます。
先ほどのホットケーキミックスの例でも、手間がかかる方が手作り感やオリジナル感があり、支持されたというわけなのです。
もう1つの理由は、手間いらずのホットケーキミックスを使う人が、家族の評価を気にしたこと。 すなわち、「手を抜いた」と思われるのではないかと危惧したことです。
自分だけのメリット(時間や手間の短縮)を求めれば、水を加えるだけのミックスを選ぶはず。 それでも人間は、家族など自分以外の人の目を気にしたり、配慮したりする(社会的規範)ことが多々あるのです。
こちらの例のように、一見すると売れそうなものが売れなかったり、売れそうなものが売れたりするのは、消費者の「非合理的」な選択や行動が理由となっている場合があります。この例のほかにも、
〇結果的に同じ値段になっていても、全品100円セールと全品2割引きセールだと、前者の方が魅力的に感じる
〇1万5千円の服を1着買おうとしていたのに、2着買えば2万円になると聞くと、予算オーバーしていても余分に買ってしまう
なども身近な例です。
行動経済学を通じて、「人間が実際に意思決定をするときのくせ」を深く理解することは、マーケティングの質を大きく向上させることにつながります。
また、マーケティングのようなビジネスシーンだけでなく、日常生活などでも広く活用しやすいのが、行動経済学の強み。 それでは、この学問を学ぶメリットを見てみましょう。
もちろん、自分の行動を変えることもできます。 目指すべき目標があるのに、つい目先の誘惑にとらわれてなかなかゴールにたどり着かないような人でも、なぜ誘惑に負けるのかを知ることで、対策を講じることができます。
ここまでの解説で、行動経済学がどんなものなのかざっくりとお分かりいただけたと思います。
次は、行動経済学の考え方の基本について。 この学問が、伝統的な経済学とはどう違っていて、どのような特徴を持っているのかについてしっかりと理解していきましょう。
コンビニやスーパーで会計をするとき、レジ前の床に描かれた矢印を目にすることがあります。 コロナ禍では、客同士の適切な距離を示す線も増えました。 それらを見た私たちは、店の人に強制されなくても、長い行列ができていても、並んでいる人たちの後ろに立とうとし、前の人との距離を保とうとします。
でも、もし矢印や線がなければどうでしょうか。 誘導されることなく各自が勝手に考えて行動するので、割り込みなどのトラブルになってしまうかも。 つまり、矢印や線を見たことによって、私たちは店側の要望に沿った行動を知らず知らずのうちに選択しているわけです。
このように、自分では主体的に行動しているつもりでも、実は無意識のうちに何らかの情報や意図のもとに動かされてしまう―それが私たち人間なのです。
伝統的な経済学では、人間は常に合理的な選択をするとされています。 したがって、人は理にかなった行動をとるという考え方を基本として、理論を展開してきました。
例えば、結婚式で着るドレスを買うとき、インターネットで比較検討すれば最も安価で品質の良いものが手に入ります。 そして、そのドレスのサイズが少し小さいならそのドレスを着こなすためにダイエットをしようと考えるのは、合理的な行動です。 このように、人間は常に自分の利益を最大化する合理的な選択をするという考え方が、伝統的な経済学の前提とされてきたのです。
しかし、実際の人間はどうでしょうか。 先ほどのドレスを例に挙げると、ダイエット中なのに途中で食べ過ぎてしまったり、2着買えばお得なドレスを見つけて、予算オーバーしていてもそちらに目がくらんだり……。 よくある話ですが、常に合理性を追求していれば、このようなことは起こりませんね。
このように、人間は時と場合によって非合理的な行動を取ることがあるのです。 しかも、「わかっているけど、できない」というケースだけでなく、正しい(あるいはお得である)と信じて行った選択が、実は非合理的であったという場合も珍しくありません。
前述のように、伝統的な経済学が想定している消費者の行動と、実際のそれの間には大きな差があります。 このような、経済学との矛盾が生じてしまう人間の行動を解明するために登場したのが、「行動経済学」なのです。
行動経済学では、実験や消費者アンケートなどを利用して収集したデータをもとに研究を進めていきます。 消費者の動向をつかみやすいことから、マーケティングの分野で注目を集めています。
新たな学問として登場した行動経済学ですが、伝統的な経済学を完全に無視するものではありません。 経済学が立証してきた理論をベースに、人間特有の考え方やくせをふまえて、実際の行動を検証するのです。 そのため、行動経済学は経済学と心理学のハイブリッドと表現されることもあります。
たとえば、株式投資の例を考えてみましょう。 株価が下がったときは、その株を持っているすべての人がすぐに売り払うはずだと考えるのが伝統的な経済学でした。 しかし、ここに心理学の要素が加わると、「また値上がりするのではないか」と希望を持ってしまう人間の性質が考慮されます。 その結果、すべての人が株を手放すわけではなく、保有し続ける人もいるという結論が導かれるのですね。
今回の記事では「行動経済学」がどのような学問であるかについて解説しました。
次回の記事では、「ヒューリスティック」と「システマティック」や「プロスペクト理論」など、実際に行動経済学で取り扱われている要素を紹介します。
行動経済学についてより詳しく知りたくなった方は、次回の記事もぜひお読みくださいね。
※イラスト/松尾達
※本記事は、下記出典を再編集したものです。
『サクッとわかるビジネス教養 行動経済学』(新星出版社/大森)
本書は行動経済学の基本となる考え方をイラスト図解で簡単に示し、それをビジネスや生活に生かすための方法を豊富な実例とともに紹介します。「見るだけで会話・説明ができる」というシリーズコンセプトの通り、この本を読めば行動経済学的な視点で戦略や企画を提案することができるようになります。
著者は『東大教授が教えるヤバいマーケティング』(KADOKAWA)など著書多数の東大教授、阿部誠先生。個人の心理に着目したマーケティング研究の第一人者がおくる、ビジネスパーソンのための行動経済学の本です。
主な著書に『大学4年間のマーケティングが10時間でざっと学べる』『東大教授が教えるヤバいマーケティング』(共にKADOKAWA)、共著書に『(新版)マーケティング・サイエンス入門:市場対応の科学的マネジメント』(有斐閣)などがある。