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2022.04.01
スペシャルインタビュー “プロへの道”

File No.16 【助産師・いのちの授業講師 直井亜紀先生】

「私たちがこの世に誕生したときのことを、いのちの授業を通じて一人でも多くの子どもたちに伝えていきたい」

直井亜紀(ナオイアキ)

助産師。一般社団法人ベビケア推進協会代表理事。聖母女子短期大学助産学専攻科(現・上智大学総合人間科学部)卒。第39回母子保健奨励賞受賞。令和元年度内閣府特命担当大臣表彰受賞。埼玉県、千葉県、東京都などを中心に、小・中・高校でいのちや性の講演実績、企業や専門職向けのセミナー講師実績多数あり。エッセンシャル・マネジメント・スクールフェロー(特別研究員)。田口ランディ氏のクリエイティブ・ライティング(文章創作)講座受講。音楽活動では、企画・歌手を務めたCD「あかちゃんのうた」が童謡ランキング1位を獲得。合気道初段。二児の母。
著書『おかあさんのための性教育入門』実務教育出版

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 助産師となって26年。14年前に埼玉県八潮市に助産院を開業し、約50,000人の育児相談に寄り添ってきた直井先生。地域に密着した活動を続けながら、小学校、中学校を中心に「いのちの授業」の講演を精力的に行っています。

「ここにいる誰もが、母親の子宮で育ちました。誕生したときに笑顔で迎えられ、幸せな未来を願い名前を付けてもらいました。毎日抱っこされた赤ちゃん時代を過ごし、おすわりした、ハイハイした、歩いた…という成長を見守ってくれた大人がいたはずです。そうでなければ、今ここに存在していないのですからーー」そう語る、直井先生の「いのちの授業」は、助産師としてこれまで多くの方をサポートしてきたからこそ語れるもの。聞き手の心をぐっとつかみ、深く入り込んできます。今回は直井先生に、これまで歩んできた道についてお話いただきました。

――まずは、直井先生が助産師になるまでのエピソードをお話しいただけますか。

 はじめて助産師に関心を持ったのは小学校低学年のときに読んだ本でした。たまたま図書室で見つけたその本に書かれていた内容に、激しくショックを受けたんです。その本には、ある途上国の出産について書いてありました。女性の地位が低いため、臨月になると山の中へ一人で入り孤独に出産する。もしも出血多量などで下山できなければ、家族は探すことなく新しい妻を迎える―。そんな内容だったので、「ひどい! なんということだ!」と怒りを覚えたんです。そのときに助産師という職業を知りました。

 

 振り返ってみると、子どものころの私は、親にとって育てにくい子だったと思います。「なんで生きているのだろう?」「死んだらどうなってしまうのだろう?」などと、いろいろなことに疑問を抱いて突飛な行動をよくしていました。死んだらどうなるんだろう? と不思議になり、遺書を書いたこともあるほどです。怖くて行動には移せませんでしたが(笑)。

 

 そして、本格的に助産師になりたいと思ったのは、高校生のときです。助産師になるためには看護師の資格が必須なのでまず看護科へ通いました。さらに助産師の学校を受験し、妊娠や出産などをより詳しく学び国家試験を受けます。私は、聖母女子短期大学助産学専攻科(現 上智大学総合人間科学部)へと進み、助産師の資格を取得しました。

助産師になったばかりのころ。(写真提供:直井先生 以下同)

――助産師になるには、いくつものハードルを乗り越えないといけないのですね。助産師の資格を取得されてから開業されるまで、どのような生活を送られていましたか。

 助産師になってからしばらくは、病院で働いていました。このままずっと病院で働き続けるのだろうと漠然と思っていましたが、結婚してから生活が一変したんです。夫の転勤が続き、何度も引っ越しをすることになってしまいました。大阪へ行き、千葉へ行き、再び大阪へ戻って今度は名古屋へ。さらには海外転勤もあったために、助産師としてのキャリアを築くことができなくなってしまいました。

 私なりに助産師の仕事を細々とは続けていましたが、やりたいことがたくさんあったので葛藤の連続でした。子どもが小学校高学年のころに転勤辞令が出たタイミングで、「次の転勤先を最後にしたい。腰を据えて仕事をしたいので、今後は転勤についていきません」と宣言して、埼玉県に居を構え助産院を開業したんです。2009年5月の出来事でした。

 

助産院を開業したころ

――強い意志のもと、開業された助産院なのですね。直井先生は現在、助産師の業務と並行して、数多くの小・中学校で「いのちの授業」を行っていますが、どのようなきっかけで始めたのか、お話いただけますか。

 あれはたしか、娘が中学校に入学してすぐの出来事だったと思います。

 ある日、娘が「先輩からすごいことを聞いた」と怯えながら帰宅してきました。話を聞いてみると、どうやらそれは性行為についてで、「気持ち悪いもの、汚いもの」として聞いてきたようすでした。

 私の職業柄、娘は出産や赤ちゃんを身近に感じながら育ちました。娘を連れて友人のお産に駆け付けたこともあるし、母乳を飲ませている方のそばにいたこともあります。そのような娘でも、思春期になると先輩から聞く話の影響力が大きいのだと気づき、「なにかできないだろうか」と思うようになりました。子どもたちの性の知識が偏らないようにできることは何だろう……。そして、わが子だけではなく地域の子どもにも性やいのちの話ができないだろうかと考えるようになっていったんです。

 

 そう思ったのには、もうひとつ別の理由もありました。それは、私の大切な人が若くして突然亡くなったという悲しい経験です。そのときに「いのちが消えてしまったら二度と取り返しがつかない」と改めて感じたのです。そして、自分のことを大切に思ってほしいし、同じように周りの人も大切にしてほしい。そのことを私の言葉で子どもたちに伝えたいと思いました。

 

 そこからですね、性教育の勉強を始め、「いのちの授業」として実現させてほしいと学校の先生にアプローチし始めたのは。

――学校での反応はいかがでしたか?

 まずは地元の小・中学校にアプローチしていきましたが、その当時の反応は、「あなたのやろうとしていることは、学校でやっていますから」「学校の授業というのは、教科のないものはやらない」という、いわゆる門前払いでしたね(笑)。

 それでも諦めずにアプローチし続けていたところ、一人、また一人と関心を持ってくれる人が増えていきました。

 そして実は、連日神社参拝をして祈り続けていたんです。「神様どうか力を貸してください! 私がやりたいことが間違っていなければ、どうすればいいのか教えてください!」と。自力でやれることをやりつくして、あとは神頼みして懸けてみたいと思ったんです。

 するとある日のこと、ちょうどお参りを終えて鳥居を出た瞬間に、電話が鳴り……、どこからだろう? と出てみると、なんと教育委員会からだったんです!

「八潮市内の中学校でいのちの授業をしてみませんか?」というお電話でした。このときは神様が応援してくれているようで本当に嬉しかったですね。

 

 

 

――そのようにはじまった「いのちの授業」なんですね。授業ではどのような内容をお話されているのですか?

 私がお話しする「いのちの授業」では、自分の命が母親の胎内でどのように育ったのか、また生まれてからどのように迎えられたのかというお話が中心です。命は科学で解明されていないことがたくさんあって、「不思議だな」「すごいな」と思ってくれたらいいなと思っています。また、卵子の寿命やジェンダーギャップ、性的同意についてもお話しています。

 

 断片的ですが、授業で話していることを、ここで再現してみますね。

 

 命が始まった時は、目に見えないくらいの小さい存在でした。このころはまだ誰も妊娠に気が付いていない時期です。お母さんが妊娠に気が付いたのは、みんなの体の大きさがお米粒くらいに育った時です。妊娠に気が付いたときに、お母さんは何と言ったと思う?きっと「うれしい!」「男の子?女の子?」「元気に生まれてきてね」と、そんなふうに喜んでくれたでしょうね。

 おなかの中にいるときには体の形が少しずつ作られていきます。指ができたときは、1本がシャープペンシルの芯くらいの細さでした。耳が完成すると、みんなはお腹の外の音を聞いて育ちました。そしてお誕生してくるときも、頭の骨を動かしたりと自分の力を使って生まれてきました。生まれてくる方法は、膣からの出産と帝王切開の2通りしかありません。

 

 みんながこの世に誕生したとき、家族はどんな顔で迎えてくれたでしょうね。きっと「かわいいね」「よく生まれてきたね」「会いたかったよ」と優しい言葉をかけてくれたことでしょう。そして、ハイハイした日、歩いた日、お誕生日……と、成長を喜び見守ってくれた大人がいたはずです。

 きっと皆さんの中には、お父さんとお母さんが離れて暮らしているとか、病気だとか、すでに亡くなっているとか、いろんなご家庭があることでしょう。私が言いたいのは、今はどんな家族の形であれ、生まれてきたときに笑顔で迎えられ、幸せな未来を願って名前を付けられた日があったよということです。ここまで大きくなるまでには成長を見守ってくれた大人が必ずいたはずです。そうでなければ、私たちはここに存在していないのですから。

 

「いのちとは、男性の精子と女性の卵子が出会うことではじまります。どれだけ医学が発展してもこれ以外に命が始まることはありません。男性と女性は本来平等であるべきだと思いますが、世界の中で見ると日本は男女が平等ではない国です。私は皆さんが大人になるころには、性別で判断されない社会になっていることを願っています。

 

小・中学校でいのちの授業を行う直井先生

――直井先生のお話を聞き、胸が熱くなりました。授業を受けた子どもたちは、どのような反応ですか?

 思春期のデリケートな時期の子どもたちですが、きちんと受け止めてくれることが多いです。授業を受けた子どもたちが書いてくれた感想文を読むと、「命を大事にしたい」「まわりの人を大事にしたい」という感想だけではなく、「親孝行したい」「親に感謝したい」と書いている子が多いんですよ。

 

 私は授業中に、「お母さんは大変な思いをしてみんなを生んでくれたんだよ」とか、「お母さんに感謝しましょう」といった内容は一切話しません。感謝の押し売りはしたくありませんから。でも感想文を読むと、「親に感謝したい」と書いている子がとても多いんです。直接的に伝えていなくても、自分の成長を見守っている大人に思いをはせるのでしょうね。中には「おうちに帰ったら真っ先にお母さんに抱きつきたい」と書いていた子もいました。それも男子生徒なんです。ピュアですよね。

 

 また、これはつい最近の出来事なのですが、中学3年生の生徒さんがこう言ってきたんです。「授業を受ける前までは毎日自殺しようと思っていたけれど、ぼくはまだ親孝行をしていないから死ぬわけにはいかないと思った」と。どうやらコロナの影響で家計が困窮し、経済的に進学を断念したなど相当な苦労をしているようでした。彼の苦しみに思いを寄せながらも、「そう思うだけでも十分親孝行だと思うよ」と伝えるしかできませんでしたが、どうか幸せになってほしいと願います。

 

 彼以外にも、揺れる思いを話してくれる生徒さんはよくいます。友人関係や恋愛、進学や家庭のことなど、悩みを抱えていることが多いですね。思春期はデリケートでピュアな時期だからこそ、「自分のいのち」や「どんな未来を生きていきたいか」について考える時間になってほしいですね。常に全力でお話しさせていただいています。

 

――埼玉県八潮市では市内必修授業に組み込まれて12年目だそうですが、素晴らしい取り組みですね。

 そうですね。周りの方々との縁にも恵まれているといつも感謝しています。私が活動している埼玉県八潮市では全中学校にクラス単位で授業をしていて、義務教育を終えるまでには必ず「いのちの授業」を受ける流れを作ってくださっています。この取り組みは、全国的にも珍しいようです。

 

 八潮市以外でも、県内外の小中高校でお話しさせていただくこともあります。助産院の診療日以外であれば、遠方であっても可能な限り出向かせていただいています。岐阜県には、市の単位で毎年企画してくれている地域もあり、人のご縁がありがたいですね。

 小中高校生だけではなく、保護者の方向けや、学校の先生対象にお話しさせていただくこともあるんですよ。

――助産師として長年活動されてきた直井先生ならではの言葉でお話しされているんですね。保護者の方にとっても貴重な体験だと思います。最後に、直井先生のこれからについてお話いただけますか。

 いのちの授業を受けた子どもたちが、性の偏った情報に悩むことなく、自分のことを今まで以上に大切に思ってくれたらうれしいですね。そして家族やお友だちに対しても同じように大切にすることで、いじめや自殺がなくなってほしい。さらに、性犯罪や予定外の妊娠や、虐待も減って、今よりもっと優しい社会になってほしいです。

 

 私一人にできることは限られているけれど、いのちの授業を伝えることで優しい気持ちが広がっていけばいいなと思っています。

 

 生きていることは当たり前ではなくて、すごいなという気持ちを持ち続けながら、与えられたお役目に粛々と丁寧に取り組み続けていきたいです。

 

 

 それから昨年、そのような思いを込めて、『マンガでわかる 思春期のわが子と話したい性のこと』を出版しました。小学生へ伝えている「いのちの授業」もマンガで描かれています。性について親子で話しやすくなる内容なので、保護者の皆様にお読みいただけると嬉しいです。

📝直井亜紀語録

◆「『わたしたちがこの世に誕生したとき、笑顔で迎えられ、優しく抱っこされた日が必ずありました。幸せな未来を願い名前を付けてもらいました。見守ってくれた大人がいたから私たちはここにいるんだよー-』

このことを、いのちの授業を通じて一人でも多くの子どもたちに伝えていきたい。そして子どもたちの未来が笑顔にあふれていてほしい」

 

◆「いのちとは、男性の精子と女性の卵子が出会うことではじまる。医学が発展してもこれ以外の方法で命は始まらない。性別で差別を受けることなく、男性と女性は尊重しあえる関係性でありたい」

 

◆「子どもたちが性の偏った情報に悩むことなく、自分のことを大切に思ってほしい。同じように家族やお友だちのことも大切に思えることで、今よりもっと優しい社会になることが願いである」

取材・文 向山邦余

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