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【アドラー心理学カウンセリング指導者 岩井俊憲先生】
~多くの人を勇気づけてきたアドラー心理学。「過去」ではなく、「未来」に目を向けることの大切さを説くアドラー心理学を、これからももっと広めていきたい~
1947年栃木県生まれ。早稲田大学卒。有限会社ヒューマン・ギルド代表取締役、ハリウッド大学院大学客員教授、アドラー心理学カウンセリング指導者、中小企業診断士。
外資系企業の管理職などを経て、1985 年に有限会社ヒューマン・ギルドを設立。同社にてカウンセリング、カウンセラー養成や公開講座を行うほか、企業・自治体・学校等での講演、カウンセリング・マインド研修、勇気づけ研修、リーダーシップ研修など多岐に渡り、その受講者は延べ20 万人を超える。
著書に『マンガでやさしくわかるアドラー心理学』シリーズ(日本能率協会マネジメントセンター)、『人生が大きく変わる アドラー心理学入門』(かんき出版)、『人を育てるアドラー心理学』(青春出版社)など多数。
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『サクッとわかるビジネス教養シリーズ アドラー心理学』の監修者である岩井俊憲先生は、日本におけるアドラー心理学の第一人者として名高く、自ら設立した有限会社ヒューマン・ギルドを拠点に、アドラー心理学に基づいたカウンセリング及び人材育成を長年行っています。今回は、岩井先生がアドラー心理学と出会ったきっかけをはじめ、これまでの道のりをお話しいただきました。
さかのぼること40年近く前、大学を卒業した私は都内にある外資系企業で13年間働いていました。そのうち、6年半は社長直属の総務企画室で課長を務め、その後2年間は人事課長を兼任、さらに1年間はTQC(Total Quality Control、トータル クオリティー コントロール)の窓口を兼務するという多忙な日々を過ごしていました。
外資系企業で働いていた頃(32歳当時)の岩井先生
このまま企業戦士として邁進するかと思いきや、ある日、人生の分岐点となる大きな出来事が起きたのです。なんと出資元の外資系企業が日本から撤退することになり、大規模なリストラが敢行されるというではありませんか。このままでは今までの売り上げが6割ダウンしてしまう……。このまま会社に踏みとどまるべきか悩みましたが、最終的に会社を辞めることを決意し、会社が希望退職の募集を開始すると同時に退職願を提出しました。1983年2月1日のことでした。
退職間近、次なる進路を考えていたところ、お付き合いのあったある僧侶の方から不登校の子どもの支援をしていることを聞き、「まずはボランティアでいいので手伝いたい」と願い出たことがきっかけで、これまでとは全く違う世界に足を踏み入れることになりました。
3月末をもって退職し、4月からその生活に入ったのですが、ひと月経ったころ、岩手県から来た男子高校生Cくんを自宅で半年くらい預かってサポートしてほしいという依頼を受けました。聞くと彼は不登校で家庭内暴力も起こしているとのこと。一体何があったのだろう? ひとまず彼を預かることにしました。こうして昼夜問わず子どもに接する日々がスタートしました。
同居を始めたCくんは、幼いころから父親による虐待を受けていたことがあり、親子の信頼関係を築けずにいました。やがて高校生になって自分が父親よりも大きくなり、今度は父親に暴力を振るうようになってしまったというのです。学校にも行っていないという彼の腕には、痛々しいリストカットの傷跡がいくつも残っていました。「心に大きな傷を負うほどつらい経験をした彼をどのように支えてあげたらいいのだろう?」私は必死に勉強を重ね、最後に行き着いたのがアドラー心理学でした。
――アドラー心理学に行き着いた理由はどのようなものだったのですか?
心理学を学ぶうえで欠かせないのが、心理学の3大巨頭といわれるフロイト、ユング、アドラーといった学者の深層心理学ですが、私がアドラー心理学を選んだ最大の理由は、何か問題が起きたときに「その原因はどこにあるのか?」と過去を掘り起こして分析ばかりをするのではなく、未来に目を向けて「これから何ができるか?」を考えていく学問だったからです。私はCくんと両親との関係を今から深く掘り下げて過去と向き合うことよりも、未来に何ができるかを一緒に考えたい。そのためにアドラー心理学が有効だと考えました。
そのためにはまず、心の居場所を失っている彼に対して「ここは安全な場所なんだよ」ということを彼に教え、自己肯定感を持たせることが必要であると感じた私は、アドラーがいう「勇気づけ」という概念に深く共感しました。「勇気づけ」とは、「困難を克服する活力を自分自身や相手に与えること」。これができれば彼はきっと立ち直ってくれるー。そう信じて彼と向き合うことにしました。
――実生活のなかで、どのようなことに気をつけながらCくんを支援されたのでしょうか?
私は彼に対して「ああしなさい。こうしなさい」と、口を出すことは一切せず、彼のペースを大事にしました。昼間は彼に留守番を任せて仕事に行き、好きにさせました。
また、真夜中に「眠れない」と言って、私の枕元にやってくる彼に対し、彼の身の上話を聞きながら明け方まで付き合うこともたびたびありました。彼の話を聞けば聞くほど、アドラーの言葉でいう「勇気くじき」を、彼はどれほどまでに受けてきたのだろう……。そう思わずにはいられませんでした。
やがて時間の経過とともに、彼の心は次第に落ち着きを取り戻していくように見えました。そんなある日、あるひとつの出来事がありました。私が仕事から帰ると、家中の床がぴかぴかに掃除されていたんです。これには驚きました。もともと几帳面な性格だったんでしょうね。私は「留守番をしてくれて、掃除までしてくれて、本当に助かったよ。ありがとう!」と彼に声がけをしたんです。するとその後、彼は料理もするようになりました。どんどん意欲的になっていく彼を見ていて頼もしさを感じ始めるとともに、私はここでまた、アドラーがいう重要なポイントに気づきました。「人は誰もが何らかの形で他人に貢献したいという気持ちを持っている」ということです。そのポイントも心に留めながら彼に接するよう心がけました。
やがて彼はアルバイトも始め、「もう一度高校に通いたい」と言い出しました。ただし、岩手の高校ではなく、いま住んでいる東京の定時制高校に通いたいと。そこから今度は勉強も始め、無事に定時制高校へと進学することができました。こうして彼が成長していく過程を見ながら、私も多くのことを彼から学んでいきました。そして、この仕事をこれからも続けていこうと決意を固め、1985年にヒューマン・ギルドを設立へと踏み切りました。
――ご自身で会社を設立されてからは、どのような業務をされたのでしょうか。また、印象に残っている出来事があれば、お話いただけますか。
ヒューマン・ギルドを設立してからは、カウンセリング業務以外にカウンセラー養成講座を開いたり、親子関係プログラムを開発したりしました。親子関係に悩む数多くの保護者の方々と関わっていくなかで、アドラー心理学はとても有効でした。
たとえば、カウンセリングを受けに来るお母さんたちは、きまってそこに理由を求めようと必死になり、「スキンシップが足りなかったから」「母乳で育てなかったから」というだけでなく、「難産だったから」「帝王切開だったから」とまで言い出す方もいらっしゃいました。
そのような方に対し、私は決まってこう言いました。「お母さん、ちょっと待ってください。あなたのお子さんはもう小学校高学年ですよ。いくら赤ちゃんのころスキンシップが足りなかったと言っても、いまからスキンシップをするわけにもいきません。過去ではなく、これからをどうしていくか? を考えていきましょう。学び直す機会はここにたくさんあるのですから」と。
さらに、子どもに対して過干渉になってしまっている場合には、「人は誰でも貢献したい気持ちを持っています。子どもに対してなんでもし過ぎるのはダメですよ。子どもに留守番をさせたら、心配そうな顔ばかりを見せず、楽しそうに帰ってくればいいのです。そのときはお子さんに、「ありがとう、助かったよ」と言ってみてください。「また寝てばかりいて!」などと言わないで。叱らずに、子どもの心の居場所をつくってあげてください」と……。
このように、カウンセリングを受けに来られた保護者の方にアドラー心理学を用いてさまざまなアドバイスをしながら日々の生活に変化を持たせていくと、少しずつ親子に笑顔が増えていく様子が見てとれました。
――アドラー心理学によるカウンセリングの効果は実に大きいですね。
そう思います。それまでカウンセリングを受けに来ていた保護者の方がカウンセラーになることさえありましたからね。
それからもうひとつ、何十年経っても忘れられないある出来事があります。先ほどお話したCくんのことです。
ヒューマン・ギルドを設立して1年ほど経った頃、落ち着いたCくんを見て、実家へ帰らせたときのこと。Cくんの母親からすぐにSOSを知らせる電話がかかってきたのです。「一体何があったのだろう?」慌てて新幹線へ飛び乗り、岩手へ向かいました。Cくんの実家へ到着すると、彼はこう言いました。「もう生きていたくない。僕は一生懸命に自分を変えようとして努力した。だけど家に帰ってみるとお父さんは何一つ変わっていないじゃないか。絶望して遺書を書いた。まさか、岩井先生がここまで来てくれるとは思っていなかった」と。そして彼は手に持った遺書を見せてくれました。その冒頭には、なんと「岩井さんは、僕が信頼できる唯一の人です。この遺書は岩井さんにあてて書きます」と書かれていたのです。私は言葉を失いました。その後、彼は私を家の敷地内にある物置小屋に案内すると、「幼いころ、ここでよく父親から暴力を受けたんだ」と、その詳細を話し始めました。
「彼を実家に戻すには時期尚早だった。このまま彼をおいて一人で東京に帰るわけにはいかない……」そう思った私は、翌日、彼とともに電車に乗り、山梨にある専門の合宿施設へと向かいました。「どうか彼をお願いします」と頭を下げて彼を託したあの日の出来事を、今でも鮮明に覚えています。
彼はその後、数カ月経ってふたたび落ち着きを取り戻すと、自分のやるべき道を見つけたいと再び前を向くことができるようになりました。さらなる進学を希望して勉学に励み、難関大学に合格して自活をするに至ったのです。
当初、半年間を予定していたCくんとの時間は3年にもなりましたが、彼が落ち着きを取り戻し、立ち直っていく様子には本当に胸を打たれました。やがて両親との関係が回復し、同居を再開したCくんでしたが、ヒューマン・ギルド設立30周年を迎えたとき、なんと彼は私にこのような感謝状を作って送ってくれたんですよ。
――Cくんがご両親との関係を取り戻せたのはよかったですね。手作りの感謝状、とても素敵です。
これは私にとって何よりも大切な一生の宝物です。ヒューマン・ギルドを設立し、2023年で38年目を迎えますが、今の私を育ててくれたのは彼であると言っても過言ではありません。
――貴重なエピソードをお話いただきありがとうございました。最後にヒューマン・ギルドを設立してからもうすぐ40年目となる岩井先生から、読者の皆様へメッセージをお願いいたします。
これまで、数多くの方からさまざまな相談を受けましたが、アドラー心理学で元気になっていく親子をたくさん見て、私も元気づけられてきました。私は75歳になりましたが、50代のころよりも今のほうが元気だと感じるくらいです(笑)。人生100年という時代を迎えましたし、あと20年頑張って、95歳まで現役を続けたいと思っています。舞台役者のごとく、講演の舞台でバタッと倒れ、人生の幕引きをするのも悪くないでしょう(笑)。
読者の皆様のなかには、成功体験を積み重ねられた方だけでなく、これまでに多くの「勇気くじき」を受けてきた方もいらっしゃるでしょう。また、過去の失敗にとらわれている方もいることと思います。私が皆様にお伝えしたいのは、「失敗した過去も、あなたの味方にできる」ということです。過去の苦い経験は、あなたの教師となり、これからのあなたの応援団となります。ですから、過去ではなく未来へ目を向けてくださいね。人生の主人公はあなた自身なのですから――。
◆私がアドラー心理学を選んだ最大の理由は、何か問題が起きたときに「その原因はどこにあるのか?」と過去を掘り起こして探っていくのではなく、未来に目を向けて「これから何ができるのか?」を考えていく学問であるからだ。
◆親が子に対し、過干渉になってしまっている場合には、こう言いたいー。「人は誰でも貢献したい気持ちを持っています。子どもに対してなんでもし過ぎるのはダメですよ。子どもに留守番をさせたら、楽しく出かけて楽しそうに帰ってくればいいのです。そのときはお子さんに、ありがとう、助かったよ、と言ってみてください。また寝てばかりいて!などと言わないで。叱らずに、子どもの心の居場所をつくってあげてください」と。
◆私が皆様にお伝えしたいのは、「失敗した過去も、あなたの味方にできる」ということ。過去の苦い経験は、あなたの教師となり、これからのあなたの応援団となる。だから、過去ではなく未来へ目を向けて。人生の主人公はあなた自身なのだから――。
取材・文 向山邦余