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2020.07.16
スペシャルインタビュー“プロへの道”

File No.3/連載・全3話  【ヴィジョナリー・カンパニー代表 大塚和彦先生】
バックパッカーから企業家への転身!
 最終話『起業から現在・そして未来へ』

第1話・第2話――  社会人2年11か月目に会社を辞め、バックパッカーとして2年を過ごした後、注文住宅の営業職や広告代理店での仕事を経て独立した大塚先生。ここから現在へ至るまでの道のりはどのようなものだったのか? そしてこれからの展望はいかに? 

 

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――いよいよ、起業された大塚先生。そこでのエピソードをお聞かせください。

 

 起業したときに心に誓ったのは、「来た球は何でも受ける」こと。実際、頼まれた仕事は種々様々でした。

 

 例えばほんの一例ですが、砂漠でできた化石を通販で売る仕事もしました(売れませんでしたが…笑)。バレエ教室が経営的に困っていると聞けばコンサルティングもしました(バレエ経験もないのに…)。結婚式場に雅楽を演奏する楽団を送り込んだり(受注2件で終わりました…)、とにかくありとあらゆることをやりました。

 

 そして、その中のひとつがカードの制作・販売だったんです。ある方から、「こういったカードを商売としてやっていこうと思っているんだけど、手伝ってくれない?」と声をかけられた、それがオラクルカードでした。

 

 「お店を開拓してくれないか?」 という依頼に対し、「日本では聞いたことのないカードだけど、売れるのだろうか…?」 と思いつつ引き受けたところ、なんと思いがけなく売れていくではありませんか。そこで専門のスタッフを一人つけてみたところ、さらに売り上げが伸びていくのです。

 

 「これはいける!」 そこからです。カードの販売が自分のビジネスへと結びつき、卸売りをしながら、カードの輸入や出版をみようみまねでやりはじめました。そして2001年にヴィジョナリー・カンパニーを創業。自分でつくったカードは、気づけば40、50種類にも増えていました。

ヴィジョナリー・カンパニーを興したばかりの頃

――「来た球は何でも受ける」という姿勢が、今のビジネスへと結びついたのですね。

 

 そうですね。ここからは、私のビジネス上の信念になるのですが、私は「ビジネスの基本は、多くの手を打って、うまくいくものを残すこと」だと思っています。全ての仕事はテストマーケティングであり、当たるかどうかはやってみないとわからない。当たり始めた感覚があったら、そこにお水と栄養を注いでいく。この見極めが大切だと感じています。

 

 自分の頭で考えてすぐにわかるようなことは、どこかで誰かがとっくにやっているもの。むしろ、「誰が買うか想像もつかなかった!」という“ 想定外の成功 ”があれば、それに注視することが重要で、私の場合、カードの仕事がまさにそれでした。

 

 ヴィジョナリー・カンパニーを創業し、カードの卸しや制作を始めてからというもの、次第に市場全体が拡大していきましたので、それと同時に私たちが手掛けることもどんどん変化させていきました。

 

 海外からめずらしいカードを輸入したり、カードを使うだけではなく自分で創りたい人に向けてサポートをしたり。そしてさらに、カードを使うための講座を開いたり…。いろいろと工夫をしながら今に至っています。

――たしかに、自分がたやすく考えつくようなアイデアは、とっくに誰かが考えたものだったりしますね。想定外の成功を得るのはたやすいことではないと思うので、それまでにいかに経験を積むかが重要ですね。

 

 そうですね、仕事がどこかで誰かの役に立つのか、ということは自分ではわからないものですし、ギャップがあるのは当然なこと。それをどうやって見つけられるかがビジネスチャンスへのカギなんだろうと思います。

 ――バックパッカーを経験したことが、その後の大塚先生にとって与えた影響は、ほかに何かありますか?

 

 私は新卒後、入社早々に退職し、バックパッカーを2年間経験してからまた社会に戻ったので、その間、日本の社会ではブランクがあったわけです。ですがそれによって私は他人と自分とを比べなくなりました。

 具体的には、どんなに周りがいいお給料をもらえていても、自分にはブランクがあったんだから当然だ、という理由付けができたおかげで、それまでの世界の見え方がまるで変ったものになりました。

 

 また、もうひとつの大きな変化は、「年齢での区切り」という概念にとらわれなくなったことです。

 旅行中、様々な経験をもつ旅行者に出会いましたが、いまも記憶に残る日本人のバックパッカー夫妻がいます。ご主人に聞くと、37歳で学校の先生をやめて、夫婦で旅に出てきたというではありませんか。45歳まではチャレンジ期間だと思っていて、それまでの8年間はネタ探しの旅なのだそう。それを聞いた私はまだ20代。ちょっとした安堵感を覚えました。

 

 またあるとき出会った気の合うイタリア人は、半年間旅に出て、残りの半年間をワインの仕事に充てているとのこと。あるとき彼に「30歳までに自分の道を見つけなきゃ」とポロっと言ったときに、「俺、もう35歳。とっくに30歳を過ぎちゃってるんだけど、それって、俺はダメってこと?」「俺はまだまだこれからやりたいことがあるんだけど」「なんでそんなに焦っているの?」と聞き返されてしまいました。

 人生、年齢ではないということ。このことは、私にとって最も大きな価値観の変化だったといっても過言ではないでしょう。

 20代で教師を諦めはしましたが、現に50代になったいま、教師とは違う形ではありますが、全国各地で講座や講演会を開いたりもしていますからね。人生、どうなるかわからないものです。

――必要以上に年齢を気にすることなく、いくつになっても夢を持ち、前に進んでいきたいものですね。そして実際にそのように歩まれている大塚先生の、これからの夢をお聞かせください。

 

 

 これからやりたいこと、それはカードを通じて日本から世界へ発信していきたい、ということです。タロットカードはヨーロッパに、オラクルカードはアメリカやオーストラリアに、それぞれの国を代表するようなカードメーカーが1、2社はありますが、残念ながら日本には世界市場で通用する会社はまだありません。

 

 そこには言葉の壁という問題もあると思いますが、英語を使って日本で受信することはできても、日本人が発信したものを海外で受信してもらうのはなかなか難しいことです。そこで、日本のカードが欲しいけれど、どうしたいいのかわからないという人のために、流通する仕組みを作っていきたいと考えています。それはもちろん今すぐできるものではないけれど、これからはそこに重点を置いていきたいと思っています。

 

 そして、じつは、会社そのものを海外から人が集まる場所にしたいと考えています。詳細はまだお伝えできないのですが、「カードミュージアム(博物館)」「日本におけるカード文化の発信地」というコンセプトになる予定です。完成をぜひ楽しみにしていてくださいね。

――日本から発信していくカードの世界。次なる世界の開拓、楽しみです。カードミュージアム、ぜひ行きたいので、完成したらお知らせくださいね。

さらなる大塚先生のご活躍をお祈りしております。本日はありがとうございました。

 

 

 はい、ぜひミュージアムが完成したら遊びに来てくださいね。今日はありがとうございました!

大塚和彦語録

◆「『ビジネスの基本は、多くの手を打って、うまくいくものを残すこと』。全ての仕事はテストマーケティングであり、当たるかどうかはやってみないとわからない。当たり始めた感覚があったら、そこにお水と栄養を注いでいく。この見極めが重要である」

 

◆「自分の頭で考えてすぐにわかるようなことは、どこかで誰かがとっくにやっているもの。『想定内の成功』ではなく『想定外の成功』に着目せよ」

 

◆「人生、『年齢』という枠にとらわれすぎるな。『いつまでに何をしなければならない』という考えは、仮想現実での概念である」

 

 

(取材・文 向山邦余)

大塚和彦(オオツカカズヒコ)
株式会社ヴィジョナリー・カンパニー 代表取締役。
埼玉県出身。國學院大學文学部出身。経営コンサルティング会社として社会人のスタートを切るも、2年11ヶ月で退社し世界を旅するバックパッカーとなる。数年の後、社会復帰。数社での実務を経験後、2001年 有限会社(現、株式会社) ヴィジョナリー・カンパニーを創業。オラクルカード・タロットカード専門出版社として、『日本の神様カード』シリーズをはじめ、過去に50作以上のカード出版を手がける。2014年からは『日本の神様カード』を中心とした数々の講座講師も務める。15万部を超えたベストセラー『宝くじで一億円当たった人の末路』(日経BP社)において、「自分探しを続けた人の末路」として紹介されている。
いまも、旅に出るチャンスを虎視眈々とねらう現役の企業家である。(書籍刊行時)

大塚和彦オフィシャルサイト
ヴィジョナリー・カンパニー公式HP
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