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2020.07.09
スペシャルインタビュー[プロへの道]

File No.3/連載・全3話  【ヴィジョナリー・カンパニー代表】
大塚和彦先生
~バックパッカーから企業家への転身!~
第2話 バックパッカーから起業家へ

 

【第1話】大学を卒業し、経営コンサルタント会社へ入社したものの、3週間後に不本意な転勤を告げられた大塚先生。その後の中国への旅がきっかけとなり、社会人3年目を迎えようとする一歩手前で退社を決意―。さて、その後、どのような展開が待ち受けているのでしょうか?(👉第1話を読む

 

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――中国への旅を通じて、いろいろなものが見え、入社後2年と11か月目に退職する決断に至った大塚先生ですが、その後はどうされたのですか?

 

 ここからが私の人生の第二幕のスタートでした。『ロンリープラネット』を片手に、世界の各地を周るバックパッカーとなりました。半年くらいかけてタイ、カンボジア、ベトナム、ミャンマーなどを訪れて帰国。帰国後に電気工事のアルバイトをしてお金を貯め、次に向かったのは中国、モンゴル、チベット、ネパール、インドなど…。そのような生活を2年近く続けました。

バックパッカー時代。インドやミャンマーなど、各地を訪れた
インドを旅して周ったとき

 日々、喜怒哀楽の刺激を受けつつ、楽しかったです。開放的で、呼吸が大きくなったからでしょうか、“肺が大きくなった感覚”というのも体験しました。

 

 旅先にはじつにいろいろな人がいました。若者ばかりでなく、30代、40代近い人もいました。そしてバイタリティ溢れる人たちばかりでなく、バックパッカーになってから、それまでの社会生活に戻れない人たちも…。

 

 バックパッカーというのは、旅に出るときも大変ですが、帰り際を見極めるのがまたさらに大変なんです。非日常的な生活が徐々に日常になると、そこからなかなか抜け出すきっかけを作れない人も多く、親が病気になったなどの理由で強制終了する人も多くいます。

 

 私の場合、旅をもう少し続けたいけれど、引き際も考えなければ…と思っていたさなか、ある出来事をきっかけに意識が大きく変わり、帰国を決意するに至りました。

――帰国する決意を固めるきっかけとなった出来事とはどのようなことだったのでしょうか。

 

 今でもはっきりと覚えていますが、インドでダライ・ラマ(14世)法王にお会いしたときのことです。たまたま謁見する機会に巡り合ったのですが、ダライ・ラマ法王を一目見たとき、“とにかく普通の人ではない”という、圧倒的な存在感を感じたのです。そして謁見が終わって、ゲストハウス(※注 安宿のことです)に戻る途中に、どこからか「日本に帰って仕事をしたい」という気持ちが湧き上がり、居ても立ってもいられないような感情に押され、帰国を決意しました。ダライ・ラマに会ったこと自体が直接の原因かはわかりませんが、それを通じて帰国を決意するほどの大きな出来事でした。

――ダライ・ラマからものすごい強いエネルギーを感じたのですね。帰国後はどのように過ごされたのですか?

 

 帰国してからは、さっそく仕事探しを始めました。社会人歴2年の自分にできる仕事といったら、前職で経験した営業しかないと思い、営業職を探しました。「この2年もの間、みんなが一生懸命働いているときに自分は楽しい思いをしていた…」そんな思いもあって、あえてきつい仕事をしよう、と注文住宅の営業職を選びました。

 

 きついと思って入った会社でしたが、本当にきつかったです(笑)。週末は住宅展示場で仕事をし、平日は営業回り。休みなんてほとんどありませんでした。お給料も歩合制でしたし、その頃は「ブラック企業」という言葉もありませんでしたから、とにかく働きづめの毎日でした。その時の自分にとってはいい意味での「喝」になりましたが…。

 

 やがて1年が経ち、仕事のきつさが体に出てきたころ、ちょうど大学の先輩から1本の電話がかかってきました。話を聞いてみると、大阪にある広告代理店が、東京にも事務所を作ることになったので、立ち上げのスタッフを求めているとのこと。

 

 先輩の話を聞いていくうちに、「この仕事、絶対お前に合ってるよ」と説き伏せられ、結果としてその会社に転職することにしました。

 

 仕事の内容は、雑誌や新聞の広告をとる営業でした。入社後すぐに電話での営業を始めたのですが、最初に入社した経営コンサルタント会社での仕事や、帰国後すぐに入社した注文住宅の営業と比べると、広告代理店の営業は、「広告を出しませんか?」ととてもシンプルな仕事なだけに、とてもラクに感じられました。そしてどんどん仕事が取れ、なんと1年で課長に昇格しました。とはいえ、自分に何か特別な能力があったとか、そういうことではありません。営業とは「確率」なんです。「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」という言葉の通りで、あとは実際にその数をやるかやらないか、ということなんですよね。

 

 そしてその後、自分の目指したい方向性から、ついに独立することを決めました。

 昔から、成功哲学、自己啓発、独立開業といった類の書籍は多く読んでいたものの、どこか他人事だったのが、いつしか自分のことになりました。

 

 時は2000年。前の会社の仕事も少し受け持ちながら広告代理業をスタートし、次第に広告以外の仕事にも着手。そこで始めた仕事が、なんと今の仕事へと結びつくことになるとは、この時はまだ想像もしていませんでした。

第3話へ続く(7月16日公開予定)

(取材・文 向山邦余)

大塚和彦プロフィール

株式会社ヴィジョナリー・カンパニー 代表取締役。
埼玉県出身。國學院大學文学部出身。経営コンサルティング会社として社会人のスタートを切るも、2年11ヶ月で退社し世界を旅するバックパッカーとなる。数年の後、社会復帰。数社での実務を経験後、2001年 有限会社(現、株式会社) ヴィジョナリー・カンパニーを創業。オラクルカード・タロットカード専門出版社として、『日本の神様カード』シリーズをはじめ、過去に50作以上のカード出版を手がける。
2014年からは『日本の神様カード』を中心とした数々の講座講師も務める。15万部を超えたベストセラー『宝くじで一億円当たった人の末路』(日経BP社)において、「自分探しを続けた人の末路」として紹介されている。
いまも、旅に出るチャンスを虎視眈々とねらう現役の企業家である。

大塚和彦(オオツカカズヒコ)
株式会社ヴィジョナリー・カンパニー 代表取締役。
埼玉県出身。國學院大學文学部出身。経営コンサルティング会社として社会人のスタートを切るも、2年11ヶ月で退社し世界を旅するバックパッカーとなる。数年の後、社会復帰。数社での実務を経験後、2001年 有限会社(現、株式会社) ヴィジョナリー・カンパニーを創業。オラクルカード・タロットカード専門出版社として、『日本の神様カード』シリーズをはじめ、過去に50作以上のカード出版を手がける。2014年からは『日本の神様カード』を中心とした数々の講座講師も務める。15万部を超えたベストセラー『宝くじで一億円当たった人の末路』(日経BP社)において、「自分探しを続けた人の末路」として紹介されている。
いまも、旅に出るチャンスを虎視眈々とねらう現役の企業家である。(書籍刊行時)

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