2022.01.17
鎌倉時代に活躍した歴史上の人物を知ろう!

第2回 【北条政子(1157~1225年)】夫の死後は「尼将軍」となり御家人を導いた女傑

  1月9日から、小栗旬さん主演のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」がスタートしました。そこで今月は、人物で読み解く日本史365人』(佐藤優  監修)より、ドラマに登場する歴史上の人物のなかから数名をピックアップして紹介します。今回は小池栄子さん演じる北条政子です。どんな人物だったのか、ぜひ覚えてくださいね。

北条政子ってどんな人?

 鎌倉幕府の初代将軍・源頼朝の正室となった女性で、伊豆国の豪族で在庁官人だった豪族・北条時政の娘として生まれる。彼女の夫となる頼朝は平治の乱で平清盛に敗れて伊豆国に流された流人で、父である時政はその監視役を務めていた。

 

 しかし、時政が京に赴いて不在中の隙を突き、政子は頼朝と恋仲になる。当時は平氏が全盛の時代であるため、時政は二人の婚姻に反対して政子を幽閉するが、政子は大雨の夜に抜け出し頼朝のもとに駆け込んだといわれている。そのため最終的に時政は政子と頼朝の仲を許し、舅として頼朝の後ろ盾となった。

鎌倉幕府成立後

 政子が長女・大姫を出産してから数年後となる1180(治承4)年、以仁王(後白河法皇の第三皇子)が令旨を発して全国に平氏打倒を呼びかけると、伊豆国にいた頼朝もその声に応え、時政の支えを受けて挙兵する。

 そして、頼朝が富士川の戦いに勝利して関東を制圧し、1183(寿永2)年に「寿永二年十月宣旨」の発給により頼朝が関東を支配することを朝廷に認められ、鎌倉幕府が成立すると、頼朝は鎌倉殿、政子は御台所と呼ばれるようになったのである。

 

 なお、頼朝の正室として揺るぎない地位にいた政子であったが、一夫多妻が当然であった当時の女性として珍しく、頼朝の女性関係には非常に厳しかったという。特に有名なのが、彼女が長男・頼家(よりいえ)を妊娠中に頼朝が亀の前という女性を寵愛し、近くに呼び寄せて通うようになった時に起きた事件だろう。なんと政子は、亀の前が住んでいた邸を散々に破壊させたという記録が残されている。

頼朝の死後

 1199(建久10)年に頼朝が急死すると、出家して尼となる。そして長男の頼家が18歳で家督を継承し、鎌倉幕府の2代将軍に就任したのである。苦労人の頼朝とは異なり、若い頼家は独断専行が多かったことから、有力御家人13人による「十三人の合議制」がとられるようになった。これを不満に思ったのか、頼家は次第に妻の実家・比企氏を頼るようになり、頼家が病に倒れ危篤状態に陥ったことで事件が起きる。 

 頼家がそのまま亡くなり、頼家の嫡男である一幡を擁する比企氏が勢力を拡大することを恐れた政子や北条氏の人々は、頼家の義父である比企能員をはじめとする比企氏一族を粛正する(比企能員の変)。その中には、まだ幼い一幡も含まれていたため、事件を知った頼家は激怒して時政を追討するよう命じるが、誰も従う者はいなかったという。

 

 頼家は強制的に家督を弟の実朝(さねとも)に譲るよう命じられ、失意のうちに伊豆国の修善寺に押し込められその地で暗殺されている。

3代将軍となった次男の実朝

 3代将軍となった次男の実朝は、勅撰和歌集や『百人一首』に和歌が選ばれ、家集『金槐和歌集』が編纂されるほど優秀な歌人で、武家の棟梁でありながら公家文化にかぶれていた。特に後鳥羽上皇と親密な点は、実朝が朝廷に取り込まれて鎌倉幕府や御家人たちから乖離する危険があったため、問題視した叔父の北条義時や大江広元らが諫めるが、実朝は聞き入れなかったという。

 その結果、1219(建保7)年、鶴岡八幡宮で実朝は甥の公暁(くぎょう)(頼家の遺児)に暗殺されてしまう。この事件は公暁が実朝を父の仇と思い込んだ末の犯行とされているが、当時の朝廷と幕府の関係、さらに幕府内の勢力争いなどから、公暁が何者かにそそのかされた説も唱えられている。

「尼将軍」と呼ばれて

 政子は頼朝との間に二男二女に恵まれたが、二人の娘は病によって夭折し、二人の息子はどちらも暗殺によって命を絶たれた。特に実朝の死は予期せぬことであったため、淵背に身を投げようとさえ思うほどその嘆きは深かったという。

 しかし、鎌倉幕府の支配はいまだ盤石ではなく、御家人たちの心の支えとなる征夷大将軍を空位にするわけにはいかない。そのため実朝の葬儀が終わると、政子と義時は摂関家の九条家から頼朝の妹の血を引く2歳の三寅(後の藤原頼経)を4代将軍として迎えた。当然、三寅が将軍の役目を果たせるわけがなく、三寅を後見した政子将軍の代行をすることになり、彼女は「尼将軍」と呼ばれるようになった

政子の言葉が、承久の乱を勝利へと導く

 しかし、頼朝、頼家、実朝と三代にわたって、巧みなバランス感覚の上で築き上げてきた鎌倉幕府と朝廷との公武協調体制は、後鳥羽上皇と親密であった実朝の暗殺によって崩壊を迎える。上皇側からすれば土着豪族にすぎない北条氏に牛耳られた鎌倉幕府への不信感は拭い去れないものとなっていたのである。

 このため、1221(承久3)年に後鳥羽上皇が北条義時追討の院宣を出し、承久の乱が 勃発してしまう。後鳥羽上皇は朝廷の権威の前には関東の武士たちも従うと考えたのである。実際、院宣を知った御家人たちは激しく動揺するが、彼らの前で政子が武士政権を築いた頼朝に対する恩を説いたことで、彼らは前時代的な朝廷中心の政治に逆行するのではなく、自分たち武土の政権を守ることを決意したのである。

 

 政子の言葉が19万騎の幕府軍を動かし、承久の乱を勝利に導いたのだ。

出典 『人物で読み解く日本史365人』

本記事は、上記出典を再編集したものです。(新星出版社/向山)

北条政子デジタル画像  国立国会図書館ウェブサイトから転載

 

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佐藤優(サトウマサル)
1960年、東京都生まれ。作家、元外務省主任分析官。 1985年に同志社大学大学院神学研究科修了後、外務省に入省。在英国日本国大使館、在ロシア連邦日本国大使館に勤務。その後、本省国際情報局分析第一課で、主任分析官として対ロシア外交の最前線で活躍。2002年、背任と偽計業務妨害容疑で逮捕、起訴され、2009年6月に執行猶予付き有罪確定。2013年6月、執行猶予期間を満了し、刑の言い渡しが効力を失った。『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』(新潮社)で第59回毎日出版文化賞特別賞受賞。『自壊する帝国』(新潮社)で新潮ドキュメント賞、大宅壮一ノンフィクション賞受賞。『読書の技法』(東洋経済新報社)、『勉強法 教養講座「情報分析とは何か」』(KADOKAWA)、『危機の正体 コロナ時代を生き抜く技法 』(朝日新聞出版)など、多数の著書がある。

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