File No.10
【服飾デザイナー 清松加奈子先生】
祖母に教わったお裁縫がすべての原点だった
[後編]
バンタンデザイン研究所在学中からインディーズブランドkanako inoueとしてデザイン活動をはじめる。1998年中国北京へ渡り、中央民族大学へ留学。日本帰国後、2014年よりオリジナルブランドcanaco_を、 2019年よりKAAMをスタート。またその傍ら、手縫いやものづくりの楽しさを多くの人に伝えたいと、リメイクレッスンや手 縫い教室を開催している。『まいにちスクスク』(NHK)などのメディアでも活躍中。
https://canaco-shop.com/about/
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――中国への留学を果たした清松先生。そこではどのような生活を送られたのでしょうか。
留学先は中国の中央民族大学で、語学留学という形をとりました。優秀な人たちが多い中、私は異色の存在でしたね(笑)。そこには50以上もの民族が集まり、ともに学んでいましたが、それぞれの民族衣装も間近で見ることができて、とても刺激的でした。私の目的は洋服を作ることとはっきりしていましたから、まずは語学力を徹底的に身につけてから、服飾業界の現場を知ることに精を出しました。国営の縫製工場に見学に行ったり業務の依頼をしたり。バーの店舗を借りてファッションショーを開いたりもしました。モデル事務所のオーナーが中国人のパリコレ経験者で、いろいろ教えてくれました。また、ファッションショーのチラシを見て北京在住の日本の業界の方が連絡をくれ、それを機に、その方とオーダーメイド店を開店することになりました。
――中国にはどのくらい滞在されたのですか?
途中で一度、日本へ帰国した期間が半年ほどありましたが、旅費を貯めてまたすぐに中国へ戻りました。そこから企業デザイナーとしての仕事も経験し、トータルでおよそ5年間ほど中国で過ごしたのち帰国しました。
――帰国後はどのようなお仕事をされたのでしょうか。
帰国後は六本木にある総合商社で企業デザイナーとして働きました。オートクチュールのデザイナーとして生計を立てたいという気持ちがありましたが、現実問題としてなかなか儲からないし、資金もない……。
そこで、どのようなしくみで量産品が作られているのか、ということなどを働きながら勉強させてもらいました。
そこで私にとってじつに大きな出来事が起きたのです! 入社初日に訪れた企業で提案した商品が採用され、ヒットしたのですが、商品企画を進めていくなかで、あることに気づきました。
それは、「量産する企業のデザイナーであっても、オーダーメイドと同じ部分があるということ」。
つまり、バイヤーが作りたいと思う商品をデザインして提案し、工場が量産しやすい仕様や生地を考えていくわけですが、バイヤーが望むものを作るという点で考えると、それはお客様個人に対し1点ものを作るオートクチュールと根本は同じであると感じたのです。
また、「自分がいて工場があり、バイヤーがいる。その先に販売する店舗と店員がいて、そこへ足を運ぶお客様がいる。作り手から売り手まで全員が楽しくものづくりができなければその商品は売れない」。一連の流れを知るとそのようなことも見えてきました。このことに気づいたのは、私にとってとても大きな出来事でした。
当時はそのブランドの商品の大半に携わった時期もあったといってもいいくらいで、毎晩遅い時間まで仕事をしていましたが、やりがいもあり、とても楽しかったです。
やがて「やっぱり自分のブランドを立ち上げたい!」という気持ちが高まり、会社を退職して2014年に株式会社カナコーンを設立、オリジナルブランドcanaco_をスタートしました。
ちょうどそのころ、結婚してから待ち望んでいた子どもを授かり、手縫いへの熱も再燃しました。作り始めたら楽しくて楽しくて。それからというもの、娘の服や小物はほとんど自分で作りましたよ。
――お子様を通じて手縫いという原点に戻られたのですね。
そうですね。まさに原点に戻った感覚でした。そしてそこからまた新たな展開が広がりました。手縫いの服を着せて子どもを近所の小児科へ連れて行ったときに、医師から「子どもの服を作っているの? ぜひ、ほかのお母さんにもおしえてあげたらいいわ!」と言われたことをきっかけに、自宅で教室を開くことに。
そこには今までお裁縫をほとんどしたことのなかったママもいましたが、次第にステップアップしていき、やがて子ども服作りにはまるようになった方もいます。また、それまで子育てを一人でこなし、ふさぎこみがちな生活を送っていたママの交流の場になったりもしました。
手作りのものは、既製品とは違うので目立ちますよね。それをきっかけにお友達が増えたり、身内でのコミュニケーションにもつながります。
また、自分が楽しむことができることを見つけられれば、子育へのストレスも減るのではと思います。お子さんが小さくて余裕がなければ、少し落ち着いてから始めてもいいと思います。ご自身が着ていた服をリメイクしてお子さんが着られるようにするのもいい。ぜひ手作りの楽しさを味わっていただきたいです。今は教室はやっていませんが、私にとってこの時の経験も貴重なものとなっています。
――清松先生は、どのようにして服のデザインを考えていらっしゃいますか?
たとえば「この季節に何を着ていいのかわからない」という悩みや、「顔色をよく見せたい」「痩せて見せたい」「こんなシーンでこんな感じのものを着たい」という具体的な目的に合わせてデザインを考えていきますが、それとは逆に、生地を見て、その生地に合うデザインを考えることもあります。
また、このようなものもありますよ。今、私が履いているスカートの柄、じつはこれ、九谷焼の壺に描かれた絵柄なんです。自分のブランドの服を作ってくれる国内工場を探しに石川に行き、その途中で九谷焼の先生のカフェにたどり着いたのですが、そこで見た壺の絵柄にに一目ぼれしちゃいました。そこでさっそく作家さんに交渉してスカートの柄に使わせていただきました。ひだで隠れて一見わからないのですが、広げてみると鳥の絵が大きく描かれているんです。
日本にはいろいろな伝統工芸品がありますが、私たちの日常生活とは離れてしまっていますよね。そこで、このようなものを普段使いの洋服に取り込んでみることで、それをきっかけにして若い方にもこんなに素敵な伝統文化があることを知っていただき、実物の工芸品を見てみたいな、と思ってもらえれば嬉しいです。
長年、この業界で仕事をしてきましたが、自分の好きなことを続けられるのは、とても幸せなことだと思います。きついな、大変だな、と思うときもありますが、それは自分の勉強不足からくるものだと思っています。若い人に教わることもたくさんありますし、悔しい思いをするときもあります。まだまだ知らないことばかりなので、これからも日々勉強していきたいです。
そして最後にー。今は安い値段で洋服を簡単に買うことができますが、大量生産されている服も、1枚1枚、作り手の手を介して世に出ています。ミシンを踏んでいる人にはその背景に家庭があり、子どもたちは同じように未来を担っている。そうした大きな流れを理解したうえで、ものを買ってほしいな、と思います。
試しに、着ている服を一度ほどいてみてください。「こんなにしっかり縫われているんだ!」とか、「デニムって、なんでこんなに染料が手につくんだろう?」といったことなど、いろいろなことが分かると思います。生地や染料は生きているものから作られている。そうしたことにも興味を持ってもらえたら嬉しいです。私の親世代が若かったころは、オーダーメイドで洋服を作ることが多く、仕立てがとてもしっかりしていました。また、ボタン1つを見てもとてもおしゃれなものが多く、今それを着ることができなくても、他の小物としてリメイクするのも良いと思います。
自分がいいと思って買ったものをいつまでも大切にすることのできる気持ちはとても大事だと思うので、そのことも洋服づくりを通じて伝えていきたいです。
◆「自分がいいと思って買ったものをいつまでも大切にすることのできる気持ちはとても大事。そのようなことも洋服づくりを通じて伝えていきたい」
◆「大量生産されている服も、1枚1枚、作り手の手を介して世に出ている。ミシンを踏んでいる人にはその背景に家庭があり、子どもたちは同じように未来を担っている。そうした大きな流れを理解したうえで、ものを買ってほしい」
◆「自分が楽しむことができることを見つけられれば、子育へのストレスも減るのでは。お子さんが小さくて余裕がなければ、少し落ち着いてから始めてもいい。お子さんの着られなくなった服や、ご自身が着ていた服をリメイクしてもいい。ぜひ手作りの楽しさを味わって頂きたい」
◆「日本にはいろいろな伝統工芸品があるが、私たちの日常生活とは離れてしまっている。普段使いの洋服に取り込んだりしながら、その良さを若い方にももっと知ってほしい」
取材・文 向山邦余