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2022.05.02
スペシャルインタビュー “プロへの道”

File No.17 【研修講師 戸田久実先生】

「幼いころから『自立』を促してくれた両親。『社会貢献のできる大人になること』を教えてくれた学校生活。研修講師として自分にできることをこれからも続けていきたい」

戸田久実(トダクミ)

アドット・コミュニケーション株式会社代表取締役。
一般社団法人日本アンガーマネジメント協会理事。
立教大学卒業後、大手企業勤務を経て研修講師に。銀行・生保・製薬・通信・総合商社などの大手民間企業や官公庁で「伝わるコミュニケーション」をテーマに研修や講演を実施。対象は新入社員から管理職、役員まで幅広い。
研修講師歴29年。「アンガーマネジメント」や「アサーティブコミュニケーション」「アンコンシャスバイアス」「アドラー心理学」をベースとしたコミュニケーション指導に定評があり、これまでのべ指導数は22万人に及ぶ。

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 およそ30年もの研修講師歴をもつ戸田先生。企業研修後、何年もたってから当時の研修生から連絡がくることも。聞き手の気持ちを前向きにしてくれる戸田先生に、これまでの道のりをお話いただきました。

――長年、人前で話すお仕事をされている戸田先生ですが、幼少期からこれまでで、印象に残っているエピソードをお話いただけますか?

 今でこそ人前で話す仕事をしていますが、子どものころはおとなしいほうでした。小学校時代、先生が「これ、わかる人!」と言った瞬間に、わからなくても真っ先に手を挙げるような子もいるけれど(笑)、私は自分から手を挙げるタイプではありませんでした。通知表に、「みんなの前で手を挙げたり、発言できるようになりましょう」と書かれていたのを覚えています。

 

 人前で話すことの楽しさを初めて知ったのは、小学校高学年になってからだったと思います。きっかけは放送委員になり、校内放送などで話す経験をしてからですね。何となく楽しいなと思うようになりました。

 

 

 子どものころを振り返ると、大きく2つのことが印象に残っています。1つ目は、両親の教育方針です。私は一人っ子で、親が高齢でしたので、幼いころから我が家での基本方針は「自分の足で立って生きられるようになること」でした。「親がいなくなったら一人でやっていかないといけないのだから、自分で決めて自分で行動していける子になってほしい」そのような両親の気持ちがあって、私が何かを決める時に、親の干渉は一切ありませんでした。

 

 私は私立の中・高一貫校を受験したのですが、受験することを決めたのも私自身でした。理由は、たまたま近所に仲のいいお姉さんがいて、私立中学校を受験して入学したからなのですが、「私も中学受験がしたい! お姉さんと同じ学校に進学したい」と両親に話したところ、「それなら、受験対策のできる学習塾を自分で探しなさい」という返答が。そこで、お姉さんの通っていた学習塾を聞いて、その塾に入りました。

 

 近所の学習塾とは別に四谷大塚進学教室にも通うことになったのですが、テストで割り振られた教室はその当時、自宅から2時間弱もかかる遠方にありました。「どこにあるのかわからない」と母に話したら、「あなたには、目、耳、口があるのだから、調べて聞いて行きなさい」と言われ、横浜から池袋まで、行ったことのない道のりを一人で調べ、駅員さんに尋ねたりしながら行ったりもしました。

 

 それ以降も、自分で決めて実行に移す、ということは当たり前のことになっていました。大学受験も就職活動も、ほとんど事後報告。高校生になってからは学費以外のお小遣いは自分でアルバイトをして稼ぎました。親から買ってもらった服は、成人式の着物とリクルートスーツだけでした。

幼いころの戸田先生
あこがれのフェリス女学院中学校の制服を着て

――幼いころから自立心がしっかりと育ったのですね。ご両親の教育方針は徹底していますね。

 そうですね。厳しさの中に優しさをもって育ててくれたおかげで、「いまここで、どうする?」という場面で、決断する力が身に付いていったのだと思います。

 

  またさらに、学校の教育方針にも影響を受けました。通っていた学校はフェリス女学院だったのですが、女性の自立を促す雰囲気があり、「For Others-誰かのために」をモットーとしていました。

 

 高校2年生の合宿では、どんな社会貢献ができるか? をディスカッションしたこともあります。社会に出て何らかの職につくということは、私にとってはごく自然なこととして捉えられていきました。

 

 大学時代は、テニスのサークルに入り、学生生活を思い切り楽しみました。当時は企業や組織がいろいろとイベントを開催していた華やかな時代。先輩から声をかけられて、アルバイトでイベントのMCを経験し、人前で何かを伝える仕事もあることを知りました。

――大学卒業後はどのような会社へ就職されたのですか?

 大学卒業後、就職した企業は大手の時計で有名な専門商社でした。当時は、男女雇用機会均等法が施行されたものの、実際は結婚や出産を機に退職していく人が多かった時代。そのような中、就職先の企業には定年まで働く女性がいましたし、すでにそのころマタニティ用の制服もあり、産休や育休の制度も整っていて、とても先駆的で社員を大切にする企業だなと感じました。とてもアットホームな企業で、社会人として身に付けておくべきすべてのことを教えていただきました。3年ほどして音楽系のベンチャー企業に転職しましたが、それまで一緒に仕事をしていた方々とは今もお付き合いがありますよ。

専門商社で働いていたころ

――企業研修のお仕事は、どのようなきっかけで始めたのですか?

 最初に就職した専門商社で新人研修を受講したのですが、その講師が『人は「話し方」で9割変わる』を出版した福田健先生でした。研修時、私は一番前の席に座って受講したこともあって、福田先生と雑談を交わすこともありました。話をすると、福田先生が人材育成のための勉強会を主宰しているというので、「説明力」「プレゼン力」「交渉力」を身に付けたいと思い、仕事の合間を縫って参加することにしたのです。福田先生の企業研修のアシストを経験することもでき、そこで人材育成の仕事を知りました。

 

 専門商社から音楽系の会社へ転職してからも勉強を続け、インストラクターの資格を得てから、本格的に自分の仕事にしたいと思うようになり、一生の仕事にしていくことを決めました。

――仕事をしていくうえで、「こんなことが大変だった」ということはありますか? また、研修講師のお仕事を通じて、面白さややり甲斐はどのようなところにありますか?

 20代後半で講師になりましたからね。30代の頃には管理職研修にも登壇するようになり、そこに集まる管理職の方々の多くは自分より年上の男性でしたから、「どんな人が講師かと思ったら、お姉ちゃんか」と言われたこともあります。

 

 そこで大事なことは、ひるまないこと。歳は若くても、プレゼンテーションやコミュニケーションを教えるということにおいては、私のほうが専門家だという強い気持ちを持ち続けました。年齢をいきなり聞かれたときには、「いくつに見えますか?」と逆質問をするなど、切り返しの術も習得していきました(笑)。

 

 30代終わりごろになって、少しずつ実績がつき、年齢を重ねるにつれて軽く見られることがなくなり、そのあたりからぐっと楽になりました。結婚、出産、離婚も経験しましたから、20代後半から30代は私にとって激動の年でした。

 

 人材育成の仕事を通じて面白いなと感じることは、人が変わっていくその様子を目の当たりにすることです。新入社員の皆さんが、研修を通じてここまで変わるのかというくらいに成長する様子を見ることができます。

 

 最近はSNSの普及により、過去に私の研修を受けた方からダイレクトメッセージが届くこともしばしばあります。ある方からは、「戸田先生ですよね! 10年前にアサーショントレーニングを受けて、衝撃を受けました。今では一大プロジェクトを任されるようになりました」という嬉しいメッセージをいただきました。またある方からは、「5年前に研修を受けたのですが、新入社員にも受けさせたいので、もう一度お願いしたい」という内容のメッセージが届きました。人の成長や組織の風土が変わっていく様子を見られるのは、この仕事をしているからこその喜びですし、こうして社会と関わることができることに対する喜びも感じます。

企業研修講師として働き始めたころ

――今でこそ男女平等が謳われていますが、当時はかなりのご苦労があったかと思います。受講された方々からメッセージが届くのは、戸田先生だからこそですね。戸田先生は現在、企業研修の講師だけでなく、日本アンガーマネジメント協会の理事もされていますが、そこに至る経緯をお話いただけますか?

 企業研修や講演会を開くと、実に様々な相談を受けます。そのほとんどが対人関係の悩み。「嫌な上司がいる」「部下が同じ失敗を繰り返す」「イライラする」など。「この怒りはどうしたらいいのか?」という相談を受けるたびに、「こんなとき、どのようなことを言ってあげたらいいのだろう?」と思っていました。

 ちょうどそのころ、私がある少人数の数ヶ月にわたるセミナーを受講した際、そのメンバーの中に日本アンガーマネジメント協会の安藤さんがいました。アンガーマネジメントをアメリカから持ってきて、日本に広めたいという安藤さんの話を聞き、ちょうど今の私に必要な分野だと感じたのです。やがて安藤さんから「久実さんがやろうとしていることと近いと思うので、アンガーマネジメントを学んでみない?」とお声がけをいただき、協会に入ることに。2011年頃の出来事でしたので、もう10年が経ちました。

ーーちょうどいいタイミングでの巡りあわせでしたね!

 そうなんです。これまでパズルのピースを徐々に埋めていく感覚で勉強を続けてきましたが、最後の1ピースをもらった感覚でしたね。

 

 そこから、「怒りの感情をどのように扱い対処すればいいのか、怒りに振り回されず建設的な行動ができるためにはどうしたらいいか」を解くアンガーマネジメントを学び、研修に取り入れることにしました。

 アンガーマネジメントとは、1970年代にアメリカで生まれたとされている、怒りの感情と上手に付き合うための心理教育、心理トレーニングをいいます。怒らないことを目指すものではなく、人との違いを受け入れ、人間関係をよくするために、怒る必要のあることは上手に怒れ、怒る必要のないことは怒らなくてもすむようになることを目標としたものです。

 

 人が生きていくためには他者とのかかわりを避けては通れません。そこで生じるさまざまな「怒り」という感情をどう扱えばいいのか? 不毛な怒りによってイライラしている時間は、メンタルだけでなく身体も悪くします。

 

 また、それを誰かにぶちまけてしまうと、相手との関係も悪くなってしまいます。自分が生きやすいと思えるように、人生が楽しくなるように、怒りをうまく扱って生きる技術を身に付けることは有効だと思います。

ーー自分の感情のコントロール方法を知ることはとても大切ですね。

 そうですね。怒りの感情を抱えている間は、例えて言うなら「洗面器の水の中にずっと顔を入れて苦しくなっている状態」です。そのまま時を過ごすのではなく、顔を上げてみること。こうすれば息ができるでしょう。顔をつけて水中でもがくのではなく、顔を上げて息を吸い、目の前を見る、時には俯瞰する。アンガーマネジメントとはそのようなイメージかなと思います。大人だけでなく、子ども向けの講座もあります。情操教育にも役立ちますから、皆さんにもぜひ知っていただきたいと思います。

――わかりやすいたとえですね! たしかに、怒りを感じている間は、そのことで頭がいっぱいになり、それ以外のことが考えられなくなりがちですから、そういうときこそ冷静になることが大事ですね。では最後に、戸田先生のこれからの抱負をお聞かせください。

 長年続けてきた人材育成に関わることは、これからもずっとやっていきたいと思っています。後進の育成にも力を入れていきたいですね。

 

 皆さんが顔を上げて前を向き、人生を楽しむことができるようになるためのお手伝いが出来たら嬉しいです。

📝戸田久実語録

◆「幼いころから両親に『自分の力で生きていくこと』を教えられた。厳しさの中に優しさをもって育ててくれたおかげで、「いまここで、どうする?」という場面で、決断する力が身に付いていったのだと思う」

 

◆「人材育成の仕事を通じて面白いなと感じることは、人が変わっていくその様子を目の当たりにすること。新入社員の皆さんが、研修を通じてここまで変わるのかというくらいに成長する様子を見ることができるのは大きなやり甲斐である」

 

◆「怒りの感情を抱えている間は、例えて言うなら『洗面器の水の中にずっと顔を入れて苦しくなっている状態』である。そのまま時を過ごすのではなく、顔を上げてみること。こうすれば息ができるでしょう。顔をつけて水中でもがくのではなく、顔を上げて息を吸い、目の前を見る。時には俯瞰する。これがアンガーマネジメントのイメージである」

 

◆「人が生きていくためには他者とのかかわりを避けては通れない。そこで生じるさまざまな「怒り」という感情をどう扱えばいいのか? 不毛な怒りによってイライラしている時間は、メンタルだけでなく身体も悪くする。自分が生きやすいと思えるように、人生が楽しくなるように、怒りをうまく扱って生きる技術を身に付けることは有効だと思う」

取材・文 向山邦余

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