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2022.02.01
スペシャルインタビュー “プロへの道”

File No.15 【漢方コンサルタント 櫻井大典先生】
「人間の体は小さな宇宙。人間の体も自然の一部として捉えるのが『中医学』である」

櫻井 大典
漢方家。日本中医薬研究会会員。漢方薬局の三代目として生まれる。アメリカ・カリフォルニア州立大学で心理学や代替医療を学び、帰国後、イスクラ中医薬研修塾で中医学を学ぶ。中国・首都医科大学付属北京中医医院や雲南省中医医院での研修を修了し、国際中医専門員A 級資格を取得。年間5000 件以上の相談を応じる傍ら、Twitter ではやさしくわかりやすい養生情報を日々発信して、これまでの漢方のイメージを払拭。フォロワー数は15 万人超で、老若男女問わずファンを増やしている。
公式Twitter @ PandaKanpo

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「人間も自然界の一部である」という考えのもと、自然の摂理に適う体調管理の方法をあらゆる角度から、わかりやすく教えてくださる櫻井先生。今回、櫻井先生がこれまでに歩んでこられた道のりについてお話いただきました。

――数多くの書籍も出され、漢方家として大活躍されている櫻井先生ですが、漢方との接点はいつごろからあったのでしょうか?

 私は奈良に生まれ、小学校からは北海道の北見市で育ちました。祖父が奈良で医薬品の販売業(配置販売業)を始め、その道を父が引き継いで北海道に得意先を作って広げていったこともあって、子どものころから漢方薬や生薬は日ごろから目にする、なじみ深いものでした。私は喘息もちで体が弱かったので、病院に行く前に漢方薬を飲んでいましたし、あって当たり前の存在でした。

――配置薬といえば、我が家にも富山の置き薬がありました。ひと月に1度、お店の方が訪問に来て、おすすめの漢方薬などを紹介してくれました。

 富山の置き薬はとても有名ですよね。私が生まれた奈良も置き薬で有名なお店がたくさんありました。実際、全国各地をまわって医薬品を売り歩いていた父が、北海道で配置薬販売を始めた理由として、奈良は競合が多いということがありました。当時、配置薬がほとんどなく、これから需要が伸びるだろうと思って北見を選んだところ、その通りだったと聞いています。私も、父に連れられて一緒にお客様の家を訪問したこともありましたよ。

――幼少期から漢方に慣れ親しんできた櫻井先生ですが、そのころから中医学への道を進もうと思われていたのですか?

 それが、そうではありませんでした。よくあるパターンですが、親のつくったレールをそのまま進む、ということに強い抵抗感がありましたから、漢方・医学関係の道に進む気持ちは全くありませんでした。

――学生時代はどのように過ごされていたのですか?

 最初にお話ししたように、私は小学校から北海道北見市で過ごしました。高校2年生までの約10年間ですね。雪国育ちの特権ともいえるウインタースポーツを思い切り楽しみました。冬場は放課後になるとほぼ毎日をスキー場で過ごしていましたから、友達もみな、先生よりも上手に滑っていましたよ(笑)。

 

 部活動では、小学校・中学校時代は剣道部、高校時代はバスケットボール部に所属し、思い切り青春を謳歌していたのですが、高校2年生の春ごろだったかな、ある日突然、父から「夏からアメリカへ行け!」と言われたのです。

 

 父の目に映る私は遊んでばかりで、このままではいけない! と思ったようで……。「せめて英語でも話せるようになってこい!」と、まるで島流しのように家を追い出されてしまいました(笑)。

――お父様からの愛の鞭とはいえ、いきなりの展開ですね! アメリカでの生活はどのようなものだったのですか?

 渡米後は父が知り合いを通じて手配したホームステイ先にお世話になりながら、公立の高校へ転入しました。最初は会話もままならず、ひたすらきつかったです。半年ほどするとなんとなく周りの会話が聞き取れるようになり、1年くらい経ってから少しずつ楽しくなっていきました。

 高校卒業後は、カリフォルニア州立大学へ進学し、心理学を専攻しました。大学のあるサンフランシスコにはじつに多種多様な人々がいましたから、心理学といっても、一般的な科目だけではなく、たとえば性に関する心理学、文化比較心理学、攻撃性の心理学、やる気の心理学、男女間の心理、異常心理などなど、細かい内容それぞれを1科目として履修することができました。新たな知識を学んでいくことが、とにかく楽しかったです。

 

 また、心理学を学びながら、副専攻として選んだのが東洋医学でした。幼いころからなじみのあった分野ですし、せっかくなのでこの機会により知っておこう、という気持から学びました。トータル10年間ほどアメリカで過ごしたのち、26歳くらいのころ日本へ帰国しました。

留学先のサンフランシスコ(櫻井先生撮影)

――10年もの間をアメリカで過ごされたのですね! 帰国してからは、どのような道を進まれたのですか?

 日本へ戻ってきてからは、レストランのマネジメント課を出た大学時代の友人と一緒に飲食店のコンサルティング業を3年間くらい経験したり、通信関係の仕事をしたり。音楽関係の仕事としてイベントのプロデュースもやりました。その頃はまだ漢方への道への抗いがあったので(笑)。

 

 ですが、どの仕事も興味をもって取り組んだものの、何となく中途半端で……。本気でやっていた人たちにはかなわなかったですね。30歳を目前に、もっと深く掘り下げて本気で取り組む仕事がしたいー。そう思い始めたのです。

――そこから漢方への道が開けたのでしょうか?

 

 そうですね。まずは父に相談し、「漢方を仕事にしようかと考え始めているんだ」と話したところ、「ならば、中国へ行って学び直せ! もう一度大学へ行け!」という言葉が返ってきました。とはいっても、いまからまた大学へ通うとなると何年もかかってしまう。そこで選んだのが、イスクラ産業でした。イスクラ産業では、今では門戸が開かれて誰もが入ることができますが、当時はイスクラ産業の漢方を扱う薬局・薬店の後継者であれば入れるという私塾でした。私は迷わずそこに飛び込み、1年間の寮生活を送ることにしたのです。

 週の半分は実地研修として、現場に出て雑用から相談アシスタントまでさまざまなことを学び、もう半分は座学という日々。その間に中国の大学へ研修に行くなど、漢方漬けの生活を送り、みっちり勉強しました。

中国の大学での研修時

 その後、都内に4店舗あったイスクラ直営薬局で4~5年間ほど働いたのち、実家へ戻り、北見市で経営していた薬局3店舗の見直しを任せてもらいました。現在は、妹に会社を任せ、私は独立して東京で仕事をしています。

――いよいよ、漢方の道を邁進することになった櫻井先生ですが、日々、お客様から相談を受けるなか、どのような内容が多いですか?

 1日平均20件前後の相談を受けていますが、悩みは実に多岐にわたっています。お客様の90%が女性で、30歳以上の方が多いのですが、冷え性、疲労が抜けない、眠れない、イライラする、パニックを起こす、不安感に襲われる、生理痛を軽くしたい、妊娠したいなど、本当に人によってさまざまです。

 

 また、それに加えて時期による症状、たとえば寒暖差が激しい今は、湿疹などのアレルギー症状を訴える方も多いですね。

 

 新規のお客様に対しては1時間くらいかけてじっくりと話を聞き、どのような生活を送っているのかをヒアリングします。「朝に何を食べたか? 昼は? 夜は? 1日にとる水分量はどのくらい?」など、その人の体が何から出来上がっているのかがわかる質問をしていきます。たとえば、「疲れがとれないんです!」と言う方に対し、何時に寝ているかを尋ねると、夜中の1時だったり、夜10時過ぎにかつ丼やラーメンを食べていたり。そのような生活を送っていたら、体に負担がかかり、疲労がとれないのは明らかですよね。ですが本人にその自覚がなく、不調の原因を意識していないケースが多々あるので、話を聞きながら不調の原因をさぐり、改善点を見つけてアドバイスをしたり、必要に応じて漢方薬を処方していきます。

 

 人間の体というものは、とてもシンプルなものです。日ごろの生活習慣がどのように体に反映されるのか、そのつながりを理解することがとても大切です。

――たしかにそうですね。櫻井先生が監修された『漢方レシピ』にも漢方の知識が書かれていて、とても勉強になります。

 その本にも書かれているように、人の体は「気」「血」「水」から成り立っています。初心者の方にとっては、いきなり「気」といってもピンとこないかもしれませんね。

 

 中医学でいう「腎」は、腎臓とは異なる意味を持ちますし、似て非なる概念なので西洋医学に当てはめようとしてしまうと、概念の違いが大きくてややこしく感じてしまうと思います。中医学を学ぶ際には西洋医学の知識は頭の中からいったん捨て、用語を頭から覚えていくほうが楽だと思います。中医学(東洋医学)は体のつながり全体を考えるものですので、バランスがとても大事です。

 

 たとえば、「不眠」について考えてみます。なかなか眠れないということは、活動(陽)と沈静(陰)のエネルギーバランスが崩れ、陽が強くなりすぎていることを示しています。そこで、そうなった原因をさぐっていきます。食事の面では、陰が満たされていない食事の内容(辛いもの、脂っこいものは陽が多すぎるため、興奮してしまう)になっているかどうか? また、心理的な面では、ストレスが強いかどうか? などを見ていきます。イライラすれば、陽が強くなっていますからね。そのような原因をさぐり、対処法をアドバイスしていくのが私の仕事ですが、もっとも根底にある概念は「人間の体も自然の一部である」ということです。

 

 空気が乾燥すれば皮膚はカサカサします。風が吹けば土は舞い上がり、体内に入ればくしゃみが出ますよね。このような自然界の哲学を人間の体に当てはめ、翻訳するのが我々漢方コンサルタントの仕事だと思います。

――「自然界の哲を人間の体にてはめ、翻する」というたとえはとても分かりやすいですね。

 体に「火」があればのぼせます。目が赤くなることもあります。イライラもします。マンガでよく見る、怒った人の頭上の湯気はまさにそれを表したものですね。

 また、水が体にいいとはいいますが、「水」が増えれば増えるほど体は冷え、むくみ、体が重くなります。不調を治すために「何を食べたらいいですか?」という質問をよく受けますが、まずは余剰なものを減らしていくことも大事なことなのです。

――余剰なものを減らしていく、という例にはどのようなものがありますか?

 現代人の多くは、「過剰」になっていることから起きる不調が多いです。食べ過ぎ、飲み過ぎ、甘いものや添加物のとり過ぎ、などです。

 

 不調を訴える患者さんから「何を食べたらいいですか?」と聞かれることが多々ありますが、「何を食べるとよいか」ではなく、「何から減らすか?」から考える必要もあるわけです。

 たとえば、冷え性に悩む方に対してヒアリングをすると、水を毎日2リットル飲んでいるという答えが返ってきたりする。いくら水が健康にいいといっても、水ばかりをそんなにとったら冷えるしむくみます。

 また、食事内容そのものの見直しも必要です。朝はサラダ、お昼はパスタ、夜はピザ。このような食事内容はよくありません。なぜなら人間のパワーの根底をつかさどる「腎」を補う食材が入っていないからです。また、生ものばかりをとっているのもよくありません。人間がなぜ食べ物を加熱して食べているのか? それは消化しやすく、栄養をより吸収するためです。そうすることによって、健康寿命が延びてきたわけです。

 不調を抱えるみなさんには、日々の生活リズムや食事の内容を振り返ってみていただきたいと思います。毎日の食事をどのようにしたらいいかわからない、という方はぜひ『いつもの食材でゆるラク漢方レシピ213』を参考にしていただければと思います。

――「何をとるか」よりも「何を減らすか」が大事であるということは、覚えておきたいことですね。これまでに櫻井先生が漢方家として10年以上お仕事をしてきたなかで、大変だったこと、やりがいを感じたことについて教えていただけますか?

 人の健康を預かる仕事ですからね、責任感がなくてはいけません。自分にとっては何百人のお客様であっても、その方にとって私は唯一の存在ですからね。

 

 長い間、相談に来られていた方から「体調がよくなりました」「妊娠できました」「出産しました」という嬉しい報告を聞くこともあれば、その逆のこともあります。相談に来られた方の“人生の一部分での深い選択に関わる”ということは、タフさがないとできません。その方の人生に関わっていくわけですからね。そこがこの仕事の大変さであり、またやりがいでもあります。

――これから櫻井先生がやってみたいことなどがありましたら教えてください。

 具体的な目標を定め、そこに向かって何かを成し遂げたい! という目標はなく、日々の生活で、いかに力を抜いて生きていくことができるか? を考えていますが(笑)、これだけは守っていきたいということがひとつあります。

 

 私のお世話になった恩師がよく語っていた言葉のなかに、「日本の家庭に中医学を」という言葉があります。親に知識があれば、子どもを健康に育てていくことができます。恩師のこの気持ちはずっと受け継いで、広めていきたいと思っています。

📝櫻井大典語録

◆「人間の体というものは、とてもシンプルなもの。日ごろの生活習慣がどのように体に反映されるのか、そのつながりを理解することがとても大切である」

 

◆「中医学を学ぶ際には西洋医学の知識は頭の中からいったん捨て、用語を頭から覚えていくほうが楽だと思う。中医学(東洋医学)は体のつながり全体を考えるものなので、バランスがとても大事である」

 

◆「自然界の哲学を人間の体に当てはめ、翻訳するのが我々漢方コンサルタントの仕事だと思う

 

◆「現代人の多くは、『過剰』になっていることから起きる不調が多い。不調を改善するために『何を摂るとよいか』ではなく、『何から減らすか?』から考える必要もある

 

◆「恩師がよく語っていた言葉のなかに、「日本の家庭に中医学を」という言葉がある。親に知識があれば、子どもを健康に育てていくことができる。恩師のこの気持ちはずっと受け継いで、広めていきたい」

取材・文 向山邦余

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